ラブレーに言及した箇所がある。
ただ面白いだけの書物の中では、近代のものとしてはボッカチオの『デカメロン』とラブレーと、これをも同じ近代人の中に数えねばならぬならば通称ジャン・スゴンの『接吻』とを、時間をつぶすだけのことがあるものと思う。(2.10 書物について, p.253)
ここに関根秀雄の注釈が付いている。
ボッカチオはともかく、ラブレーをただ単に面白い書物として挙げているのは、もとより故意であろう。むしろ彼自らの『随想録』に対するカムフラージュであろう。
モンテーニュの真意はどうか知らないが、モンテーニュもラブレーも宗教対立の時代にあって一応はカトリック側の人間であった。しかし、熱心なカトリックであったわけではないだろうし、キリスト教徒であったかどうかさえ疑われたりする。
わたしにとっては、いくらちゃんとした裁判をした上で行う刑だとはいえ、ただの死以上のものはすべて純然たる残酷としか思われない。人々の霊魂を良き状態において天に送ろうと努めねばならないキリスト教徒にとっては、特にそう思われる。そういうお努めは、堪えがたい責苦によって霊魂をかき乱したりしては、とうてい果たせないのである。(2.11 残酷について, p.289)
関根秀雄の注。
このパラグラフは、1581年にローマ法王庁から削除を命ぜられたが、その後の版にいっこう削除されていない。アルマンゴーはこれをもモンテーニュの確信と大胆との一つの証拠としている。法王は異教徒異端説を罰する場合には極刑をも決して禁じなかったのである。