Oeuvres complètes de Montaigne
- メディア: ハードカバー
Et l'hoste de Sylla ayant usé en la ville de Peruse de semblable vertu, n'y gaigna rien, ny pour soy ny pour les autres.
ところが、スュルラの客は、ペルシア市において同じような徳を行なったのに、自分自身のためにも、ほかの人々のためにも、何の得もしなかった。(p.13)
- 作者:モンテーニュ
- メディア: 文庫
ところがスルラの客人はペルシア市で同じ勇気を示したのに、自分のためにも他人のためにも、何の得るところもなかった。(p.14)
先日、両邦訳の「客」「客人」が分からないと書いた。『プルタルコス英雄伝』の訳者(高橋秀)に従い、「宿主」と訂正するべきではないかと。そして、やはり宮下志朗訳も買わなくてはならないのではないかと。
宮下訳はキンドル版もある。電子書籍で読む気にはなれないが、紙の本を注文する前に、電子版のサンプルだけ覗いてみた。
- 作者:ミシェル・ド・モンテーニュ
- 発売日: 2014/10/30
- メディア: Kindle版
ところがペルージャの町に、スッラを迎え入れた人は、これと同じような勇気を示したのに、自分のためにも、他の人々のためにも、なんの得るところもなかった。
至極まっとうな訳である。
結論。やはり宮下訳を買わなくてはならい。
もう一つ、大分前に疑問に思っていたところも見てみた。
原文。
L'Empereur Conrad troisiesme, ayant assiegé Guelphe, duc de Bavieres, ne voulut condescendre à plus douces conditions, quelques viles et laches satisfactions qu'on luy offrit, que de permettre seulement aux gentils-femmes qui estoyent assiegées avec le Duc, de sortir, leur honneur sauve, à pied, avec ce qu'elles pourroyent emporter sur elles.
関根秀雄訳。
皇帝コンラート三世は、パヴァリア公ゲルフェンを包囲した時、どんなに卑下した条件を持ち出されてもなかなかおゆるしにならなかった。ただやっとのことで、公と共に城中に囲まれていた貴婦人たちが、その名誉を犯されることなく、裸足で、自らその身に負いうるものだけをもって、脱出することをお許しになった。(p.10-11)
原二郎訳。
皇帝コンラート三世はパヴァリア公ゲルフェンを攻囲したときに、いかなる屈辱的な降伏の申出がなされても受けつけなかった。せいぜい寛大な条件として、ただ、公と一緒に囲まれている貴婦人たちがその名誉を傷つけられることなく、はだしのまま、身に持てるだけのものを持って、城を出ることを許した。(p.12)
なぜ「はだし」でなくてはならないのか。原文を見ても「à pied」とあって、これは普通、「乗り物を用いず自分の足で歩く」ことしか表さない表現である。
しかし、立派な学者が揃って「はだし」と訳すのだから、なにかしら根拠があるのかもしれないと考えていた。
宮下志朗訳。
神聖ローマ皇帝のコンラート三世は、バイエルン公ゲルフェンを攻めて囲んだときに、皇帝の気持ちを満足させんものと、どれほど卑屈な申し出がなされようとも、そうした最高の条件を聞き入れようとはせず、ただ、公とともに包囲されている貴婦人たちにかぎって、その貞潔を保証し、各自持てるだけのものを持って、歩いて出ていくことを許したのである。
至極まっとうな訳である。訳しにくいところもごまかしていない。
結論。やはり宮下訳を買わなくてはならい。
ちなみに、貴婦人たちは自分の肩に夫、子ども、さらにはバイエルン公までも担いで出ていこうとした。皇帝はこれを見て涙を流し、積年の恨みも水に流したという。
【家庭菜園】
ちょっと早いかもしれないが、タマネギの苗を植える。
もうそろそろ終わりかなと思っていたトウガラシだが、いまだに収穫し続けている。
ゴーヤーもまだ実を付ける。ただ、葉っぱにカビが生えてきたので、そろそろ終わりが近いのかもしれない。
オクラはコンスタントにぽつりぽつりと実を付ける。
ツルムラサキは小さなわき芽がまだ出てくる。
7月17日のキュウリはもう葉っぱがボロボロだ。8月9日の秋キュウリは未だに実が成らない。成らないままに終わりそうな気がする。