本の覚書

本と語学のはなし

Das Neue Testament/Gerd Theißen

Das Neue Testament

Das Neue Testament

  • 作者:Theissen, Gerd
  • 発売日: 2015/06/01
  • メディア: ペーパーバック
 大分前に読み始めて、中断期間も長く、何が書いてあったかもう明瞭には思い出せない。この本は原始キリスト教の文学様式から見た新約聖書概論である、と言っておけば間違ってはいないだろう。


 結びの言葉。

Für viele schlägt nach wie vor ein Funke Ewigkeit aus ihnen in die Zeit. Aber auch für den, der diese Schriften nicht mehr als Predigtwort hört, lohnt es sich, sie zu lesen und sich in sie zu vertiefen. Sie gehören zur grundlegenden kulturellen Information der menschlichen Geschichte. (p.124)

多くの人にとっては、今日も以前と変わらず、それらの文書からは一片の永遠性のきらめきが時間の中へと侵入してくる。しかし、これらの文書をもはや説教の言葉として聞かない人にとっても、それらを一度読み、その中に思いを潜めてみるに値する。それらの文書は人間の歴史について残された根本的な文化的情報だからである。(p.274)

 最初の文を語学的に説明しておくと、「nach wie vor」は副詞句で、翻訳の「今日も以前と変わらず」に当たる。前置詞として後ろの名詞を支配しているわけではない。
 ということで、主語はその後ろの「ein Funke Ewigkeit」。「Funke」は元来「火花」であるが、「ein Funke (von) ~」の形で「少量の~」をも意味する。翻訳では「一片の永遠性のきらめき」となっていて、原義も活かしている。
 なお、「von」が入らない形というのは省略と捉えることもできるだろうけど、部分を表す2格と考える方が本来的なのではないかという気がする(例えば『ニーベルンゲンの歌』冒頭の「wunders vil」)。


 次はミヒャエル・エンデの『モモ』。
 これは少しだけ読みかけて、長いこと放置している。


【聖書】
 岩波訳でもなく、文語訳でもなく、結局フランシスコ会訳を読んでいる。
 注はよほど気になるところでない限り読まない。スピード重視である。


【語学】
 英語やフランス語のニュースに加えて、ドイツ語でも聞くようになった。聞いているだけで、理解しているわけではない。


 先週の週刊ニューヨークタイムズは結局一つの記事しか読まなかったが、その記事に関して言えば、拍子抜けするほど簡単な英語だった。
 今週からは全部読むことを目指す。


 『伊勢物語』は今のところ続けている。
 読めばそれなりに楽しいが、本当に必要かどうかは分からない。老いて外国語を受け付けなくなったときの準備という以外に、古文を読む理由はあるだろうか。


【筋トレ】
 ようやく調子が上がってきて、先週は久々に3分割メニューを全部行うことが出来た。
 最近のメニュー。
  ① ブルガリアンスクワット、ベントオーバーロー、レッグレイズ
  ② ダンベルプレス、ダンベルフライ、ダンベルカール、ハンマーカール
  ③ ショルダープレス、サイドレイズ、フレンチプレス、キックバック


【家庭菜園】
 4月28日に種をまいたエダマメの収穫が終了した。
 近年エダマメをおいしいと思ったことはないのだけど、採りたての茹でたては格別においしかった。


 5月18日にまいたエダマメもそろそろ収穫できそうだ。
 5月29日にまいたインゲンはもう収穫を始めているが、数も少ないし、出来も悪いし(古い種を処分するつもりで条件の悪いところにまいてしまったせいである)、早々に終了するだろう。


 タマネギの後だったので大分遅れてスタートしたトマトだが、実が付き始めている。まだ赤くはないけれど、一安心。今のところ、ミニトマトよりも中玉トマトの方が順調である。
 ゴーヤーも小さな実がちらほら付き始めている。本当にこれが食べられるようになるのだろうかと思う程小さなサイズである。
 キュウリはもうすぐ終わりそうだ。うどん粉病を侮っていた。その後は秋キュウリに挑戦するか、カブでも作るか。まだ決めてはいない。


 ペットボトルキャップの実験は失敗と言うべきだろう。
 時期が悪かった。しかし、今後もう一度挑戦してみようという気にはあまりなれない。スペースは必要だが、苗カバーでいいのではないかと思うのだ。葉物野菜なら収穫まで被せたままで大丈夫かもしれない。
 今はチンゲンサイの苗が1本だけ何の保護もなく残されている。ただ、不思議と今のところ虫に食われてはいない。


 長雨の間に、茶豆がひょろ長くなってしまった。
 天候のせいだろうか。それよりも、トマトと同じ畝で育てているせいで、その肥料を吸収してしまったのかもしれない。
 他にも必要になりそうなので(インゲンやモロヘイヤなど)、細くて短い支柱を購入してきた。


 ツルムラサキは3か所に種をまいたが、発芽率が非常に悪く、1か所からは全く芽が出なかった(残る2か所からはそれぞれ1本ずつ)。
 もともと種まきの適期を過ぎているし、天気も悪い。追いまきはせず、インゲンを間引いて移植しておいた。
 最近多用している移植であるが、インゲンは春に失敗している。ちょっと心配ではある。


 3日に種をまいたオクラはまだ発芽しない。雨ばかり降っていたし、気温も上がらなかったので、仕方ないところか。
 オクラももう今からまき直すわけにいかない。インゲンとエンサイなら、多分まだ間に合う。ニンジンという手もあるのだけど、芽が出るかどうか心配だ。まくとしても畝の端の方にちょっとだけ実験的に、ということになるだろう。


 気をつけてよく見ていると、近辺の家でも野菜を作っているところは結構ある。家庭菜園もあれば、小さいながらプロの農家の畑もある。
 驚くのは、トマトにしろキュウリにしろ、超密植にしているところが多いこと。1本仕立てにしてコンパクトに作っているから出来ることなのだろうけど、少ない苗から多くの収穫を得たい私には真似の出来ない技である。
 草ぼうぼうの畑がある。雑草退治まで手が回らないという可能性もあるが、どうも意図的に刈っていないのではないかと思われる節もある。一番気になる畑である。