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試しに『善悪の彼岸』を始めてみる【ドイツ語】

Jeuseits Von Gut Und Bose

Jeuseits Von Gut Und Bose

善悪の彼岸 (岩波文庫)

善悪の彼岸 (岩波文庫)

  • 作者:ニーチェ
  • 発売日: 1970/04/16
  • メディア: 文庫
 序言の冒頭。

Vorausgesetzt, dass die Wahrheit ein Weib ist —, wie? ist der Verdacht nicht gegründet, dass alle Philosophen, sofern sie Dogmatiker waren, sich schlecht auf Weiber verstanden? dass der schauerliche Ernst, die linkische Zudringlichkeit, mit der sie bisher auf die Wahrheit zuzugehen pflegten, ungeschickte und unschickliche Mittel waren, um gerade ein Frauenzimmer für sich einzunehmen? Gewiss ist, dass sie sich nicht hat einnehmen lassen: — und jede Art Dogmatik steht heute mit betrübter und muthloser Haltung da. Wenn sie überhaupt noch steht! (p.11)

 真理が女である、と仮定すれば――、どうであろうか。すべての哲学者は、彼らが独断家であったかぎり、女たちを理解することにかけては拙(まず)かったのではないか、という疑念はもっともなことではあるまいか。彼らはこれまで真理を手に入れる際に、いつも恐るべき真面目さと不器用な厚かましさをもってしたが、これこそは女(あま)っこに取り入るには全く拙劣で下手くそな遣り口ではなかったか。女たちが籠絡されなかったのは確かなことだ。――そこであらゆる種類の独断は、今日では悄然として意気阻喪した恰好で立ちつくしている。それがなお立っているとすればだ!(p.7)


 各言語に一つ専門を作るという思いつきに取り憑かれてしまい、暫くその選定作業に入っていた。
 ヘブライ語旧約聖書ギリシア語は新約聖書ラテン語アウグスティヌス、フランス語はフローベールというところまでは決まっていた。
 残るは英語とドイツ語である。
 時間もお金も労力もあまりかけないためには、新規に始めるのではなく、分量が多すぎず、原典も翻訳も比較的容易にかつ廉価に入手できるものがよい。


 ドイツ語はヘッセかニーチェかで迷ったが、ヘッセは分量が多いし、買うべきものも多い。ニーチェなら原文テキストを持っているし、量は適度だし、翻訳が必要なら容易に入手できる。
 ただ、上に引用した文章を見ても分かるとおり、ニーチェを読んでいるとそのリズムに大いに影響されて口が悪くなる(翻訳者が選択した卑語に影響されると言うことではない)。今後私のブログがやたらと攻撃的になってしまったら、学生でもあるまいにと笑っていただきたい。


 英語はジェイン・オースティンが最適であるように思われた。主要作品は6つのみで(分厚いが)、翻訳は全て文庫本になっている。その他の作品も手紙も簡単に手に入る(ブロンテ姉妹も寡作ではあるが、全作品となると案外入手しにくい)。
 ただ、『自負と偏見』を原文で読んだことはあるのだが、これもまた意地の悪さが染みついてしまいそうで怖い。


 ついでに、日本語では道元を読んでみることにした。日本語と言ってもかなり特殊な日本語ではあるが。
 道元なら何も買わなくても始められるし、これまでに著作の大半は読んでいる。問題は今道元に意味を見出せるかということである。


【家庭菜園】
 秋キュウリの芽が出始めた。
 ニンジンも1本だけ発芽したようだが、予断は許さない。


 ずっと書くのを忘れてきたが、サツマイモは苗を10本買って植え付けた。その際に、ポットで買った苗をどうするべきか分からなかったので、肥やしにしようと切り分けて畝に敷いた。
 その捨てた苗が1本根付いて、他の苗と肩を並べている。そこだけ株間が極端に狭くなってしまうので迷うところではあるが、せっかくなのでそのまま放任している。