本の覚書

本と語学のはなし

『モモ』を再開する【ドイツ語】

Momo

Momo

モモ (岩波少年文庫(127))

モモ (岩波少年文庫(127))

 前回書いたとおり、ドイツ語はかなり前にちょっとだけ読んで中断していた、ミヒャエル・エンデの『モモ』を再び取り上げることにした。
 児童文学であるから難しいことはないけれど、分量はあるので途中で飽きてしまわないようにしないといけない。


 第2章の最後の文章。

Und wer nun noch immer meint, zuhören sei nichts Besonderes, der mag nur einmal versuchen, ob er es auch so gut kann. (p.22)

 さあ、これでもやっぱり、人に耳をかたむけるなんてたいしたことではないと思う人がいますか? そう言う人は、モモのようにできるかどうか、いちどためしてみることですね。(p.33)

 この章はモモの特別な能力について書かれている。耳を傾けることである。喧嘩をする人たちも、モモがただ話を聞くだけで、その内に仲直りしてしまう。歌を忘れたカナリアも、1週間モモが耳を澄ましていたら、やがてまた歌う喜びを取り戻す。
 引用した文の「wer」は疑問詞ではなく、先行詞のない関係代名詞。「~する者」を表し、しばしば指示代名詞の「der」で受ける。「~する者、その者は・・・」という意味になる。もちろん、大島かおり訳が誤訳と言うことではない。言葉の成り立ちとしては、元来「誰か~する者はいるか? いるとすれば、その者は・・・」ということなのだろうから、そこに立ち返って精彩のある訳を工夫してみたまでのことである。
 ドイツ語で大切なことの1つは、「nun noch immer」のような副詞の塊のニュアンスをつかむこと。ばらばらに訳すと「今」「まだ」「常に」となる。分析すれば「ここまで読んだ今となっても、まだなお、前と変わらずいつまでも」ということではあるが、そんなまどろっこしいことを言おうとしているわけではない。翻訳にあるとおり、「これでもやっぱり」という気分である。


【家庭菜園】
 5月18日にまいたエダマメの収穫を開始した。
 5月29日にまいたつるなしインゲンの収穫も続いている。


 3日にまいたオクラは発芽しなかった。オクラはその前に(6月6日)実験的にまいて発芽した2本のみを育てることになる。しかし、一向に大きくならない。
 オクラを諦めたスペースには、今から種をまけるものということで、ニンジンを横向きに2条(なるべく間引かなくていいように、点まきで1か所4、5粒)、残りの半分につるなしインゲン、もう半分にエンサイ。
 ニンジンやエンサイが発芽しなかったら、全部をインゲンにする。


 短い支柱を買い足しに行ったついでに、秋どりキュウリの種を入手した。
 5月18日に苗を買って植えたキュウリは、まだ収穫は続いているけど、うどん粉病に冒されているので、恐らくもうすぐ終了する。
 そのキュウリの近くに1か所、畝のちょこっと空いているスペース(6月22日にまいたエンサイがまだ大きくなっていない、その脇)に2か所、種をまいて苗カバーをかけておいた。
 エンサイ脇のは保険のつもり。しかし、場合によっては、その場所で1本仕立てでコンパクトに育てるなんていうこともできるものだろうか。
 これは狸の皮算用であった。