本の覚書

本と語学のはなし

人はパンだけで生きるものではない【ギリシア語】

 ルカによる福音書4章1-4節の原文と新共同訳。

1 Ἰησοῦς δὲ πλήρης πνεύματος ἁγίου ὑπέστρεψεν ἀπὸ τοῦ Ἰορδάνου καὶ ἤγετο ἐν τῷ πνεύματι ἐν τῇ ἐρήμῳ 2 ἡμέρας τεσσεράκοντα πειραζόμενος ὑπὸ τοῦ διαβόλου. Καὶ οὐκ ἔφαγεν οὐδὲν ἐν ταῖς ἡμέραις ἐκείναις καὶ συντελεσθεισῶν αὐτῶν ἐπείνασεν. 3 εἶπεν δὲ αὐτῷ ὁ διάβολος· εἰ υἱὸς εἶ τοῦ θεοῦ, εἰπὲ τῷ λίθῳ τούτῳ ἵνα γένηται ἄρτος. 4 καὶ ἀπεκρίθη πρὸς αὐτὸν ὁ Ἰησοῦς· γέγραπται ὅτι οὐκ ἐπ’ ἄρτῳ μόνῳ ζήσεται ὁ ἄνθρωπος.

1 さて、イエス聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、 2 四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。 3 そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」 4 イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。

 「人はパンだけで生きるものではない」と書かれているのは、申命記8章3節である。その前の部分も含めて、新共同訳を書き抜いてみる。

1 今日、わたしが命じる戒めをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたたちは命を得、その数は増え、主が先祖に誓われた土地に入って、それを取ることができる。 2 あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。 3 主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。

 これを読むと、申命記からの引用はただの格言のようなものではないと分かる。荒れ野におけるイエスへの40日間の試みは、モーセの40年間の荒れ野の旅に擬せられている。その間イスラエルの人々を養ったマナという食べ物は、実は神の言葉であった。イエスもまた40日の間、真実のマナを食していたのである、ということであろうか。


 マタイは後段の部分もイエスの口に上らせているが(4章4節)、ほぼ七十人訳と同じなので、「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった」という部分の七十人訳を引用してみる。

ἵνα ἀναγγείλῃ σοι ὅτι οὐκ ἐπ᾽ ἄρτῳ μόνῳ ζήσεται ὁ ἄνθρωπος, ἀλλ᾽ ἐπὶ παντὶ ῥήματι τῷ ἐκπορευομένῳ διὰ στόματος θεοῦ ζήσεται ὁ ἄνθρωπος.

 「言葉」のギリシア語はレーマである。
 一方、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」とヨハネ(1章1節)が喝破したとき、その「言」はロゴスと書かれた。
 荒れ野でレーマを食べるイエスが、自らロゴスとなって食べきれぬ真実のマナとなるとき、恐らくそこにキリストが誕生するのであろう。
 カトリックではマナのような聖体をミサで拝領するとき、司祭はこれを「キリストのからだ」とか「Corpus Christi」と言って渡し、信徒は「アーメン」唱えることになっている。信心深い人は手で受け取ることを嫌い、直接舌で受けることもある。