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新約聖書 訳と註3 パウロ書簡 その一/田川建三

新約聖書 訳と註〈3〉パウロ書簡(その1)

新約聖書 訳と註〈3〉パウロ書簡(その1)

  • 作者:田川 建三
  • 出版社/メーカー: 作品社
  • 発売日: 2007/07/01
  • メディア: 単行本
 パウロ自身の書簡の内(パウロの名が付いていても、パウロ以降に書かれたとされるものもある)、最初に書かれた四つが収められている。田川の表記に従えば、「テサロニケ人の教会へ、第一」「ガラツィアの諸教会へ」「コリントスにある神の教会へ、第一」「コリントスにある神の教会へ、第二」である。
 訳は可能な限り直訳、註は語学的なことにも踏み込んでくれるので、原文を読む際の手引きとするにはまことに有り難い。
 問題は癖が非常に強いこと。殊にパウロ嫌いは度を超しているので、クリスチャンの大部分を占めるであろうパウロ信奉者には、田川など名前を口にするさえ忌まわしい存在かも知れない。
 解説の中の一段落。

この、ただただ率直にできる限り原文を直訳した私の訳文をお読み下さったら、パウロというのは何と思い上がり、威張りくさった、嫌味な人物であることか、とお思いになるだろうか。あるいは、そんなことは読む前からすでにわかっていた、とおっしゃる読者も多いだろうけれども。いずれにせよ、事実そうなのだから、そうとしか言えない。まあ、新興宗教の教祖的宣教師というのは、所詮そういうものである。ただし、他方では、この人物が人類の宗教思想の歴史に残した足跡は非常に大きいものがあるのも、明かな事実である。十六世紀宗教改革だけを見ても、パウロ思想の影響なしには考えられない。もっとも、他方では十六世紀以降プロテスタント諸派が分裂に次ぐ分裂をくり返し、互いに衝突し、足を引っ張りあってきた美しくない歴史は、主として御本人たちに責任があるには違いないが、一つの要因として、彼らがパウロを絶対的な看板としてかついだ結果、その極度に排他的で自己絶対化する狭隘な精神までも真似をして、同じプロテスタントの中でも自分と少しでも違う者たちを互いに依怙地に排除しあってきたからにほかならない。(p.557)


 次はルカによる福音書を読む。