本の覚書

本と語学のはなし

プロテスタント神学/ロジェ・メール

 学習参考書や勉強法の本などは皆途中でやめてしまった。その代わりにラテン語とドイツ語を再開したので、結局全てのことをちょっとずつ進めるだけで、何事も捗らない。この二つの言語は、聖書原典講読の補助として用いるに留めておくのが一番いいのかも知れない。
 そんな訳で、今月の読了はこれ一冊になりそうだ。


 神学は信仰を前提とした学問である。私はそのコアな部分に立ち入ることは出来ない。文献学や歴史、思想史、文化史などの、キリスト教と客観的な学問の交わる周縁部をうろうろするばかりであろう。
 カトリックプロテスタントかということは、教会に行かない以上もうどうでもいいのだけれど、一応その違いは弁えておきたい。

 したがって、われわれは、この分裂の概念によって、ときにはカトリックの思想を特徴づけると思われる接続を拒むことによって、プロテスタント思想を好んで特徴づけてみよう。すなわち、キリストと童貞マリアではなくキリストのみであり、恩恵と自由ではなく自由の創造的恩恵のみであり、信仰と業ではなく業が生まれる信仰のみであり、聖書と伝統ではなく神の事業を表現する唯一の証言としての聖書のみであり、一種の世俗的接続としての教会と神の国ではなく教会の唯一の対象は神の国のみであり、信仰と理性ではなく知性を新しくすることのできるのは信仰のみである。(p.132)