本の覚書

本と語学のはなし

肉によって知ることはしない【ギリシア語】

Novum Testamentum Graece: Nestle Aland 28th Revised Ed. of the Greek New Testament, Standard Edition

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新約聖書 訳と註〈3〉パウロ書簡(その1)

新約聖書 訳と註〈3〉パウロ書簡(その1)

 コリントの人々への第二の手紙5章16節。

Ὥστε ἡμεῖς ἀπὸ τοῦ νῦν οὐδένα οἴδαμεν κατὰ σάρκα· εἰ καὶ ἐγνώκαμεν κατὰ σάρκα Χριστόν, ἀλλὰ νῦν οὐκέτι γινώσκομεν.

だから我々は、今から後は、誰をも肉によって知ることはしない。もしも(以前は)キリストを肉によって知ったとしても、今はもはやそのように知ることはしない。

 ここは田川建三の注釈をまるごと引用しておく。田川のパウロ嫌いが露骨に出ているので、正統派のクリスチャンは読まない方がよいだろう。

パウロがかつて生きていたイエスを知ることを拒絶している、というので、あまりに有名な箇所。パウロキリスト教の本質を露骨に暴露している。かつて私は「肉によって」、つまり此の世の現実の中に生きていたイエスのことを多少は知ることもしたけれども(イエスに関する伝承を話として聞いたということ)、もはやそういうイエスのことなどどうでもよろしい(福音書に書かれることになるようなイエスの話なぞ)。自分は、自分に直接現れた復活者キリストのことだけを考える、という宣言。これでは、福音書記者マルコがパウロと喧嘩別れしたのも無理はない(使徒行伝15:37-39)。彼がパウロと別れた後しばらくたって福音書を書こうとした気持ちはよくわかる。*1もちろんパウロがここでわざわざここまで露骨に居直ってみせたのは、あなたは本当にイエスのことを(ないしイエスの伝承を)知っているのか、その証拠を見せてくれ、と突きつけられて(13:3)、逆に、誰が「肉によるイエス」のことなんぞ知ってやるものか、と居直ったものであろう。いわゆる尻をまくったというか。


新約聖書〈4〉パウロ書簡

新約聖書〈4〉パウロ書簡

 一方、岩波訳(青野太潮)の注釈。

「肉にしたがって知る」とは、「自己を推薦し、顔において誇るような仕方で知る」の意であろう。ここから「肉によるキリスト」、すなわち「地上のイエス」へのパウロの無関心を読み取る解釈もあるが、「肉にしたがって」は副詞として「知る」仕方にかかっているので、妥当ではない。

 私には全く意味不明の説明である。

*1:田川は通説に反して、マルコ福音書の著者をマルコだと考えている。少なくとも、その可能性もあるではないかと言う。