プロテスタントは私には厳しすぎると改めて思う。
カトリック批判は随所に現れるが(それがプロテスタントである)、最もはっきり名指しして書かれているのが問80である。これは第二版で付加され、第三版でさらに幾つかの文言が足された(引用中、〔 〕内の言葉)。
「主の晩餐と教皇のミサとの違いは何ですか」という問いに対する答え。
主の晩餐がわたしたちに証しすることは、
イエス・キリスト御自身が
ただ一度十字架上で成就してくださった
その唯一の犠牲によって、
わたしたちが自分のすべての罪の
完全な赦しをいただいているということ。
〔また、わたしたちが聖霊によって、
キリストに接ぎ木されている、ということです。
この方は、今そのまことの体と共に
天の御父の右におられ、
そこで礼拝されることを望んでおられます。〕
しかし、ミサが教えることは、
今日も日ごとに司祭たちによって
キリストが彼らのために献げられなければ、
生きている者も死んだ者も
キリストの苦難による罪の赦しをいただいていない、
ということ。
〔また、キリストはパンとブドウ酒の形のもとに
肉体的に臨在されるので、
そこにおいて礼拝されなければならない、
ということです。〕
このようにミサは、根本的には、
イエス・キリストの唯一の犠牲と苦難を否定しており、
〔呪わるべき〕偶像礼拝に〔ほかなりません。〕