本の覚書

本と語学のはなし

涙の子と黙示録【ラテン語・ドイツ語】

 もろもろ捗らないときにありがちなことであるが、かえって色々なことに手を広げてしまう。
 しばらくラテン語とドイツ語は、聖書の原典講読の際に、翻訳を参照するだけであったが(それすらあまり手を付けてはいなかったが)、ラテン語ではアウグスティヌスの『告白』、ドイツ語ではタイセンの『新約聖書』を復活させてみることにした。
 英語とフランス語以外の言葉(ヘブライ語ギリシア語ラテン語、ドイツ語)は趣味程度のレベルで構わない。だが、楽しむことは楽しみたい(後には、フランス語もこれらの仲間に入るのかもしれないが)。


Confessions, Volume I: Books 1-8 (Loeb Classical Library)

Confessions, Volume I: Books 1-8 (Loeb Classical Library)

告白録 (キリスト教古典叢書)

告白録 (キリスト教古典叢書)

cum tamen illa vidua casta, pia et sobria, quales amas, iam quidem spe alacrior, sed fletu et gemitu non segnior, non desineret horis omnibus orationum suarum de me plangere ad te, et intrabant in conspectum tuum preces eius, et tamen dimittebas adhuc volvi et involvi illa caligine. (3.12.21)

他方、あなたの愛される貞潔、敬虔、思慮という徳を備えたあの寡婦は、すでに希望によって以前よりは確かに元気になっていましたが、それでもなお、悩み悲しむことを忘れず、あらゆる祈りの中であなたに向かい、わたしのために嘆き訴え続けていました。それでもあなたは、わたしが依然としてあの闇の中で転げ回ったり、深くのめりこんだりするのを、放置されました。(p.102)

 寡婦とはアウグスティヌスの母モニカのこと。二人称で呼びかけられているのは、もちろん神である。
 宮谷訳には訳抜けがあるようだ。「わたしのために嘆き訴え続けていました」の後に、「母の祈りは、御前に届いたが」(岩波文庫の服部訳)という一文が入る。
 まだアウグスティヌスマニ教に夢中になっていた頃のことである。次の章では、いよいよ有名な「このような涙の子が滅びるはずはありません」というタガステの司教の言葉が登場する。


Das Neue Testament

Das Neue Testament

新約聖書―歴史・文学・宗教

新約聖書―歴史・文学・宗教

Die Apk wurde erst im Zuge der Kanonbildung den joh Schriften zugeschrieben. Ihr Verfasser, der auf die Insel Patmos verbannte urchristliche Prophet Johannes, wurde sekundär mit dem Evangelisten Johannes identifiziert. (p.110)

ヨハネ黙示録は新約聖書の正典が結集されてゆく過程で初めてヨハネ文書の一つとして付け加えられた。その著者として名前が挙げられたヨハネはパトモス島に流された預言者であるが、このヨハネが事後的に福音書の著者ヨハネと同一視された。(p.242)

 たまたま今日読んだところの最初の部分である。深い意味はない。
 略語が使われているので分かりにくいかもしれないが(本には一覧表がついている)、日本語訳と突き合わせればだいたい理解できるだろうと思う。
 ヨハネ文書としてまとめられてはいても、福音書と黙示録の著者は同じではない。そしてこれらのヨハネは、イエスの弟子のヨハネでもない。