なんだか英語ブログのようになってきているが、私は英語フェチではない。昔は英語を毛嫌いしていたし(シドニー・シェルダンの何かの本のどこかに書いてあるように、verdi を green と表現するなんて何たる軽薄の極みであろうか!)、今でもそれほど好きなわけではない。
英語の事しか書いてないと、時々反動が起こるのだ。
コリントの信徒への第一の手紙14章19節。
ἀλλ' ἐν ἐκκλησίᾳ θέλω πέντε λόγους τῷ νοΐ μου λαλῆσαι, ἵνα καὶ ἄλλους κατηχήσω, ἢ μυρίους λόγους ἐν γλώσσῃ.
sed in ecclesia volo quinque verba sensu meo loqui, ut et alios instruam, quam decem milia verborum in lingua.
新共同訳。
しかし、わたしは他の人たちをも教えるために、教会では異言で一万の言葉を語るより、理性によって五つの言葉を語る方をとります。
最近あまり読んでいないから、前回引用した所からほとんど隔たってはいない。同じ話の流れの中にある。
したがって、たぶん前回も同じことを書いていると思うのだが、「舌で語る」というのは、なにか霊感を受けて話しているには違いないだろうが、周りの人間には何を言っているのかさっぱり意味が取れないような言葉で語ること、いわゆる「異言」のことである。
パウロ自身も異言で語ることに関して人に引けを取りはしないと自負しているが、しかしどれほど言葉を連ねようとも、教会においては理性をもって語られる五つの言葉に及ばないという。
さて、日本語訳聖書だが、日課の負荷を減らすために家で読むのをやめてしまった。タイムの遅れが気になるところではあるが、聖書は英単語集とともに職場に持って行くことにしようと思う。
家でやることは多少スリムになった。旧約聖書(ヘブライ語、ドイツ語)、新約聖書(ギリシア語、ラテン語、ドイツ語)、フランス文学、英米文学、和書、ル・モンド・ディプロマティク、タイム、そして CNN ENGLISH EXPRESS。あと、夜勤明けに歴史参考書とスクリプトを用いた映画鑑賞。