本の覚書

本と語学のはなし

一つの体、多くの部分【ギリシャ語】

 CNN ENGLISH EXPRESS はまだ CD を一回通して聞いてみただけだが、恐らく定期購読には至らないだろうと予想している。
 テキストをちょっと見る限り、親切すぎて煩わしい感じがする。


 久しぶりにギリシャ語を入力したくなった。コリントの信徒への手紙一12章12節から13節。
 新共同訳の方は、ネット上にあるテキストのコピペである。

Καθάπερ γὰρ τὸ σῶμα ἕν ἐστιν καὶ μέλη πολλὰ ἔχει, πάντα δὲ τὰ μέλη τοῦ σώματος πολλὰ ὄντα ἕν ἐστιν σῶμα, οὕτως καὶ Χριστός· καὶ γὰρ ἐν ἑνὶ πνεύματι ἡμεῖς πάντες εἰς ἓν σῶμα ἐβαπτίσθημεν, εἴτε Ἰουδαῖοι ἔιτε Ἕλληνες εἴτε δοῦλοι εἴτε ἐλεύθεροι, καὶ πάντες ἓν πνεῦμα ἐποτίσθημεν.

体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。

 最後のプネウマが対格に置かれているのは(「一つの霊を」)、受動態になって二重対格の一つがそのまま残されたからであるようだ。


 その昔、受洗後に代父さんから聖書のどの言葉が好きかと聞かれて、この個所を答えた。多様性と統一のいずれに力点を置くかでいかようにも利用できる言葉であるが、パウロは統一の方を強調しているようであるし、私は多様性の方に目を向けていたような気がする。
 多くの部分が一つの体であるのか否か。今はそのような方向には向かっていないのではないのか。