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本の覚書

本と語学のはなし

目からウロコ ロザリオの祈り 再入門/来住英俊

目からウロコ ロザリオの祈り 再入門

目からウロコ ロザリオの祈り 再入門

 まだ次のタイムが届かないので、代わりにこの本を職場で読んだ。
 ロザリオの祈りには型がある。ロザリオの珠を繰りながら、主の祈り一回、アヴェ・マリアの祈り(昔の天使祝詞)十回、栄唱一回を唱える。これが一連。ロザリオを一周すると五連になる。これが一環。各連には、黙想すべき玄義もあって(喜びの玄義、苦しみの玄義、栄えの玄義に、現在は光の玄義が加わって、四種類になった)、それぞれに恵みや徳への願いがくっついている。
 著者はこの型に常に全面的に従う必要はないと考えている。まず、恵みや徳への願いは必要ない。玄義の場面を黙想するためには、その意味を狭く限定してまとめてしまうのは逆効果だというのである。
 とりなしの祈りをロザリオを使ってする場合には、玄義の黙想はしなくてもよいともいう。とりなしの祈りの時には、その対象をイメージすればよい。
 更には、二連を玄義の黙想に、三連をとりなしの祈りというように組み合わせて一環を祈ってもいいという。
 子供のころからロザリオの祈りに親しんでいる人は自然にできることでも、そうでない人にはいろいろ工夫が必要なのである。


 祈りが神へ語りかけることではなく、神から語りかけられることだとするならば、手で祈るロザリオの祈りは、そのためのかなり有用な道具であるのかもしれない。

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