本の覚書

本と語学のはなし

三つの訳【ラテン語】

Confessions, Volume I: Books 1-8 (Loeb Classical Library)

Confessions, Volume I: Books 1-8 (Loeb Classical Library)

  • 作者:Augustine
  • 発売日: 1912/01/15
  • メディア: ハードカバー
告白 上 (岩波文庫 青 805-1)

告白 上 (岩波文庫 青 805-1)

告白録 (キリスト教古典叢書)

告白録 (キリスト教古典叢書)

et solvis a vinculis, quae nobis fecimus, si iam non erigamus adversus te cornua falsae libertatis, avaritia plus habendi et damno totum amittendi, amplius amando proprium nostrum quam te, omnium bonum. (3.16)

 同じものを訳してるはずなのに、随分違う印象の文章が出来上がる。印象だけならまだいいが、時には意味まで異なることもある。


 岩波文庫の服部英次郎訳。

わたしたちがもはや虚偽の自由の角をあなたにあげなければ、あなたはわたしたちがみずからすすんではいった束縛から、わたしたちを解き放たれる。わたしたちは、すべてのものの善であられるあなたよりも、われわれ自身のものを愛して、もっと多くのものを得ようと望みながら、かえってすべてのものを失った。

 avaritia 以下も si の条件節の中に含めるべきものだろうから、これを独立した結果文のように訳すのは無理である。
 これまでは事実貪欲であったが、もしそれを止めて神を愛するならば、自縄自縛から解き放たれるだろうという主旨であるとすれば、誤訳とまでは言えないかもしれないが。


 教文館キリスト教古典叢書の宮谷宣史訳。

あなたは…
われわれが自らを縛りつけている縄目から
解き放ってくださいます。


これは、われわれがもはや、
偽りの自由の角を
これ以上あなたに向けて
高く上げなくなり、
多くを求める貪欲が
全てを失うことになることを悟り、
万物の善なるあなたよりも
自分たちのものをより多く愛することが
なくなるときに、起こります。

 なるべく原文を前から順番に訳していこうという努力。
 しかし、「悟り」などという言葉は原文にないし、適切な補い方でもない。貪欲と書いて、直ちにそれはつまり失うことであると説明を加えたのではあろうけど、それをイコールで結んで悟ることが解放の条件であるなどと言っている訳ではない。
 avaritia 以下の奪格は、偽りの自由の角を神に対してもたげるということの様態を説明しているのだろうから、甚だ雑な訳のような感じを受ける。


 結局 Loeb 叢書の英訳(私が持っているのは古い版の Willia Watts 訳)が一番正確であるようだ。古臭い英語ではあるけれど。

and thou loosest those fetters which we have made for our own selves ; if so be we do not lift up against thee the horns of a feigned liberty, through a grippleness of having more, though with a danger of losing all ; even by more strongly settling our love upon our own private commodity, than upon thee, the common Good of all.