- 作者:マラキー ハンラッティ
- メディア: 新書
その第一冊目が『ゆるしの秘跡に戸惑うあなたへ』である。本というより、ホチキスで留められた小冊子。すぐに読み終わった。
ゆるしの秘跡を受けたのは約七十年、授けたのは五十年という神父が、長い間に経てきた変化について、次のように要約している。
・過ちに集中することから、神の慈しみに重きを置くことへ
・何かを取り除くことに気を取られることから、イエスにいっそう近づき、聖霊が与えてくださる新しい力を受け取ることへ
・過去のことに苦しむことから、未来に焦点をあてることへ
・自分自身を、裁きの座に引き出される罪深い者と見なすことから、慈しみ深いイエスにお会いする必要がある貧しい者として見ることへ
・法を守れなかったことに焦点をおくより、イエスの真の弟子となるために妨げとなるものを取り除くことへ
・自分を変えるためにこれからの苦労を心配しすぎることより、わたしを変えてくださるイエスの力にいっそう望みを寄せることへ
・わたし、神、司祭の関係を意識することから、わたし、神、司祭に加え、寛容な共同体も含めた関係を意識することへ
告解は秘跡である以上、神とイエスと聖霊に交わる場であるはずだろうが、恐らくは単なる懺悔として、罪人の意識を植え付けるだけのものに終わることも多いのだろう。
ゆるされてしまうこと、ゆるされたと感じて解放されてしまうこと、それは倫理的ではないのかもしれない。
ゆるされること、それは痛みであり、仮に神がゆるすにしろ、失われた傷口に絶えず痛みを覚えることでのみ、辛うじて我々は倫理的であり得るのかもしれない。
私がゆるしの秘跡に戸惑うのは、私が何らゆるしの必要を感じていないからであり、それは、私が可能な限り人との交わりを避けているからである。
そして、これは最も非倫理的なことであるのだろう。
とりとめのないことをあれこれ考えた。まとめることはできない。