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キリスト教思想への招待/田川建三

キリスト教思想への招待

キリスト教思想への招待

 『イエスという男』でキリスト教の悪口を言いすぎたので、そうは言ってもやはりキリスト教にもいいところはあるのですよということを示しておきたくて、本書を書いたのだという。
 この人の本は広範な知識を楽しく吸収できるところがよい。田川は正統主義のクリスチャンにとっては不倶戴天の敵のようなものだろうが、思想が違うというだけで読まないのはもったいない。


 全部で四章。第一章は「人間は被造物」。パウロとの関連で、ストア派のアラトスの『現象論』などを読むこともできる。

 今さら、バルト神学の紹介なんぞとてもやる気は起らないが、創造信仰についてだけ一言述べておくと、以上紹介してきたような創造信仰を、彼らは「自然神学」と名づけた(この大自然を創造した神を信じる、この大自然を見れば、それを創造した神を知ることができる)。そして、自然神学をひどく毛嫌いし、排斥しようとしたのである。理由は簡単である。理論的にも、歴史の実際からしても、自然神学の考え方はキリスト教の専売特許ではない。(p.30)


 第二章は「やっぱり隣人愛」。背教者ユリアヌスからドイツ農民戦争時のシュヴァーベン十二箇条まで。引用は後者の十分の一税に対する要求について。

 とすると、それに対して十分の一税は宗教税であるから、キリスト教が昔から言ってきたことのために使おう、ということになる。狭義の教会の管理(牧師の給料)などは別として、彼らは、キリスト教が伝統的に言ってきたことのうちで最重要のことは、この社会に見出される貧しい者、乏しい者を支えることだ、と理解していたのである。エルサレムの最初期のキリスト教会から千五百年、ユリアノスが見ていたクリスチャンたちからも千二百年近くたっているが、同じ伝統が生きているのを見出すことができる。(p.160)


 第三章は「彼らは何から救われたのか」。キリスト教は何から人々を救ったのか。宗教からである。しかし、ローマ帝国の国教となるに及んで、再び宗教的なものが復活してくる。それが聖者崇拝であり、その最たるものがマリア信仰であった。

 結局、キリスト教が聖者崇拝から解放されたのは、十六世紀宗教改革によってである。宗教改革は、その意味では、そのほかのさまざまな意味においても、一世紀の初期キリスト教の仕事をもう一度くり返したものであった。それでもカトリック教会の方は聖者崇拝をやめることはしなかったが、いわゆる反宗教改革(これは呼び方が悪い。カトリック教会の側もそれなりに宗教改革をやったことをこう呼んでいるのだから、「対抗宗教改革」とでもいう方が正確か)などを通じて、その要素をずっと軽減していった。けれども、プロテスタントの方は、ほどなく、プロテスタント正統主義にとじこもるようになる。聖者たちの祭壇こそやめてしまったが、おどろおどろしいドグマを大量に並べ立てて、それで信者たちを拘束しようとした。結果において、カトリックの方がおおらかに、幅のある宗教になった。けれども、十九世紀後半から二十世紀前半にかけてのヨーロッパ全体の右傾化の中で、カトリック教会が目立って右傾化していき、急速にマリア信仰、聖者崇拝を復活させた。(中略)カトリック教会が再び冷静さをとりもどしたのは、二十世紀後半、特に第二ヴァチカン公会議以降である。(p.236-237)


 第四章は「終れない終末論」。意外にも、田川はヨハネ黙示録の著者を高く評価している。終末論のためではない。その卓越した現実認識と、キリスト教だけにとらわれない偏見のない広い視野のためであり、だからこそこの著者は、黙示録という遊びの文学形式をとりつつ、後半は遊びどころではなくなって、ローマ帝国およびその古代資本主義を批判して終わるに終われなくなっていくのである。

 この著者が、ローマ帝国の繁栄を、いかに地中海の海運経済を中心に見ていたかがよくわかる。彼が呪っていたのは、単にローマ手帝国の権力者だけではない。それにあずかって大儲けをしていた連中、その下部構造に連なって適当に儲けていた連中、その者たちのすべてがこの権力を支えていたのだ。そして、そのせいで、この権力は多くの者を抑圧し、その血を流すことができた。(p.315)

 このように経済学批判の書として黙示録を読んだことは未だなかった。

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