本の覚書

本と語学のはなし

イエスについて何を知りうるか/ハワード・C・キー

 新約以外の資料(ヨセフスやローマの歴史家の証言、ラビ文献、死海文書)、福音書以外の初代教会の文献(パウロ等の手紙、使徒教父文書、外典福音書や行伝)、福音書の最も古い資料(いわゆるQ資料)、最古の福音書(マルコ)、その他の福音書(ルカ、マタイ、ヨハネ)を概観しながら、イエスについて何を知りうるのか検討する。
 結論としては、非常に多くのことをわれわれは知りうる。薄い本なので方法論まで突っ込んで解説してくれるわけではないが、著者はタイセンや大貫隆と同じく社会学的手法を用いる人であるらしい。そういう人の傾向なのかどうかは知らないけど、あまり多くを切り捨てたりはしないようだ。

 第一にわれわれが知るのは、イエスが取り組み、その結果宗教的権威者たちから拒絶されたところの争点は、まさに彼と同時代の様々なユダヤ人グループにとっても中心的な問題であり関心事であったということである。それらの中で主な問題は三つある。つまり(一)神の契約の民のメンバーであるための資格は何か? (二)その民の中に留まるためにはどうすればよいのか? (三)この契約の刷新を行う神の仲介者とは誰か? 様々に異なるグループ、すなわち祭司、サドカイ派エッセネ派、そしてファリサイ派が、祭儀的、民族的資格が本質であると考えていたのに対して、イエスは、神の恵みが必要であることを心から承認し、イエスを契約の刷新のための神の働き手であると信じる全ての人々を、彼に従う者たちの交わりに招いた。イエスは、その活動の初めから、同時代のユダヤ人たちの宗教的基準からすれば部外者と判定されていた人々に対し、あなたがたはゆるされ、癒され、神によって受け入れられているのだと宣言した。(p.156)