本の覚書

本と語学のはなし

カト史料なぜ【購入】

 今月は少し余計に本を買った。大概安い古本だから、冊数から得られる印象ほどに散財はしていないが、積ん読は減らしていきたいので、やはり買いすぎだ。
 今日は三冊届いた。


カトリック神学への招き

カトリック神学への招き

  • 発売日: 2009/05/01
  • メディア: 単行本
 上智大学の教授たちが執筆した体系的カトリック神学の見取り図。六部からなる。一、神学の基礎としての哲学。二、歴史から学ぶ。三、聖書学。四、教義学。五、実践神学。六、現代の神学。
 マリア論は教義学の中の、神学的人間論の章で簡単に扱われているだけである。だからと言って、カトリックにとってのマリア論の重要性を無視しようとするものではないようだ。マリア論はキリスト論、神学的人間論、教会論などの組織神学の主要科目が交差する結晶点であるとした上で、こう指摘する。

カトリック信仰における聖母マリアの意義の核心は、イエス・キリストが人間の範型であるのに対して、キリスト教を信仰する者の典型・モデルというところにある。しかも聖母マリアには、キリスト教の初めから今に至るまで、根強い信心がささげられてきた。ところが「処女懐胎」「キリストの母(クリストコス)」ではなく「神の母(テオトコス)」「処女母性」「無原罪の御宿り」「聖母の被昇天」など、聖母マリアへの信心を表現する用語や観念は、現代人の理解を全く無視したものであるのも事実である。まず、それらが現れた歴史の背景と状況が知られなければならない。永遠に罪から解放され「恵みあふれる方」として、「恩恵」や「罪」や人間にとっての「初め」と「終わり」の意味を担いながら慕われ続ける聖母マリアについて、単なる心情的な信心でもなく、また合理主義的に無関心を装うのでもなく、信仰と神学の深みを満たす聖母マリアの真の意味とその恵み深さを探ることが大切である。(p,158-159)


 私が教会に通うことは多分ないだろうから、今更自分はカトリックだろうかプロテスタントだろうかと迷う必要もないのだけど、一応はカトリックの洗礼を受けたことのある人間として、カトリックのことはきちんと知っておきたい。
 ただ、現在のカトリックはだいぶプロテスタントに近づいているのかもしれない。聖書学のところなど見ると、プロテスタント系の学者の名前がずらりと並んでいる。彼らの成果を取り入れるのに、もはやカトリックも躊躇はしないのだ。


史料による日本キリスト教史

史料による日本キリスト教史

 前半が非常に簡単な日本キリスト教史、後半が史料集。前半の説明文の中に、参照すべき史料の番号が指定されている。
 古い史料には注釈なり現代語訳なりをつけてもらいたいところである。


なぜ無教会か

なぜ無教会か

 教会に通わないから無教会かというと、そういうことではない。無教会の人たちは無教会の人たちで、聖書集会を行ったり伝道をしたりする。キリスト教に興味はあるが、教会に行くのは嫌だ、というのが無教会ではないのである。
 また、無教会派は特別な愛国心を掲げているようでもあり、無教会を選ぶなら、その辺りをも一緒に選び取らないといけないのかもしれない。