本の覚書

本と語学のはなし

新版 徒然草 現代語訳付き/小川剛生訳注

 十代後半の頃には抜き書きをしながら読んでいた本なので、細部に至るまでけっこうよく憶えている。私の価値観の根本的なところは、この本によって決定されたのかもしれないと思う。
 しかし、今読んでも昔のようにため息をつくようなことはない。保守的すぎるし、中央の上層を偏重しすぎるし、無常迅速であることを頻りに説きつつそのように生きていたとばかりも言えないようだし、要するに「法師」として今の私が好むようなタイプではないのだ。
 たぶん通読は今回が最後になるだろう。

    第八四段
 法顕三蔵の、天竺に渡りて、故郷の扇を見ては悲しび、病に臥しては漢のじきを願ひ給ひけることを聞きて、「さばかりの人、無下にこそ心弱きけしきを人の国にて見え給ひけれ」と人の言ひしに、弘融僧都、「いうなさけありける三蔵かな」と言ひたりしこそ、法師のやうにもあらず、心にくく覚えしか。