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本の覚書

本と語学のはなし

フシギなくらい見えてくる! 本当にわかる宗教学/井上順孝

フシギなくらい見えてくる! 本当にわかる宗教学

フシギなくらい見えてくる! 本当にわかる宗教学

 学生時代に好きだった授業の一つがF先生の宗教学だった。
 いつも15分遅刻して授業にやってくる。今は知らないが、昔は普通のことで、これをアカデミク・クォーターと呼び慣わしていた。ちびた煙草を吸いながら教室に入り、教壇にのぼるとそれを足で踏み消す。さすがに当時でも、そんなことをするのはF先生しかいなかった。
 ミサに出ることのない悪しきカトリックである、と先生は言っていた。今思えば、あの振る舞いも、カトリックらしいと言えばカトリックらしかったのかもしれない。こんなことを言ったら、まじめなカトリックの方に怒られるだろうか。
 その頃、私は宗教としては仏教にしか興味がなかったし、キリスト教に関しては、世界史の知識から判断する限り、プロテスタント側にしか味方は出来なかった。それでも後年カトリックの洗礼を受けたのは、一つには子供の頃の思い出があったのと、一つには住んでいたアパートのすぐ近くにカトリックの教会があったためであるけど、もう一つ重要な要因は、F先生にカトリックであることの可能性を見出していたためであると思う。
 今の私は、カトリックであることには非常な困難を感じる。しかし、だからと言ってプロテスタントになれるかと言えば、そう簡単なことではない。福音主義にしろ自由主義にしろ、どうしても好きになれないところはある。そして、F先生のことを思い出すたび、悪しきカトリックとしてあることに拘っていいのではないかという気がするのだ。


 こういうことを書こうと思ったのではなかった。しかし、書こうとしていたことは大したことではない。
 F先生の宗教学では、文化人類学の話がかなりの比重を占めていた。といっても、私はそもそも学校が嫌いだったから、好きな授業も休みがちで、一年を通して文化人類学の話ばかりしていたわけではなかったと思うのだが、少なくとも私が出席した授業の大半は文化人類学の話であり、文化人類学を学びなさいというメッセージであった。
 それで私は今でも文化人類学を学んでみたいと思うのだけど、どうやら文化人類学も宗教学も、当時とはだいぶ様相が変わってきているのかな、というのが、『本当にわかる宗教学』を読んでの感想である。
 しかし、これは広く、そして非常に非常に浅く書かれた本だから、それ以上のことは言いようがない。

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