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洗礼者ヨハネ【読書メモ】

ユダヤ古代誌〈6〉新約時代篇(18−20巻) (ちくま学芸文庫)

ユダヤ古代誌〈6〉新約時代篇(18−20巻) (ちくま学芸文庫)

 しかし、ヘロデ〔・アンティパス〕の軍隊の敗北は、ユダヤ人の中の心ある人びとにとっては、神の意志にもとづく復讐であるように思われた。事実、それは洗礼者と呼ばれたヨアンネス〔ギリシャ読みにしてあるが、洗礼者ヨハネのこと〕になされた仕業にたいする復讐だった。ヘロデこそは、ヨアンネス殺害の犯人だった。
 人間としてのヨアンネスは根っからの善人であって、ユダヤ人たちに、徳を実行して互いに正義をもとめ、神にたいしては敬虔を実践して洗礼に加わるように教えすすめていた。
 ヨアンネスによれば、洗礼は、犯した罪の赦しを得るためでなく、霊魂が正しい行いによってすでに清められていることを神に示す、身体の清めとして必要だったのである。
 さて、その他の人びともヨアンネスの説教を聞いて大いに動かされ、その周囲に群がった。そこでヘロデは、人びとにたいする彼のこの大きな影響力が何らかの騒乱を引き起こすのではないか、と警戒した。事実、人びとはヨアンネスがすすめたことなら何でもする気になっていたように思われた。そこでヘロデは、実際に革命が起きて窮地におちいり、そのときになってほぞをかむよりは、反乱に先手を打って彼を殺害しておくほうが上策であると考えた。
 そこでヨアンネスは、ヘロデのこの疑惑のため、前述した要塞のマカイルスへ鎖につながれて送られ、その地で処刑された。そしてユダヤ人たちは、ヘロデの軍隊がここで敗北したのはヨアンネスの復讐によるものと考えた。神がヘロデを罰することを欲したもうたからというわけである。(『ユダヤ古代誌』18.5.2)

 訳者の秦剛平が言うには、この個所はイエスの記事とは異なり、多くの学者がその真実性を承認しているそうだ。たぶんヨセフスの証言する洗礼者ヨハネが、聖書のそれとちょっと異なるからだろう。
 気になった点を三つ挙げておく。

洗礼の意味

 ヨセフスは、「洗礼は、犯した罪の赦しを得るためでなく、霊魂が正しい行いによってすでに清められていることを神に示す、身体の清めとして必要だった」と書いている。
 聖書は何と証言しているか。マルコは「洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」(マルコ1 :4)と言う。まさに罪の赦しを得るための洗礼であったように読める。しかし、聖書を総合すると、悔い改め、その実を結んだ者が、罪の告白をして、ヨルダン川で洗礼を受けていたようであるけど、洗礼の前段階で既に清められていたのかもしれず、洗礼の本当の意味が何であったかは、聖書の記述からは必ずしもはっきりしないようだ。

 マタイやルカになると、もっと切迫した緊張が表現される。洗礼者ヨハネは叫ぶ、「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ3 :2)、「斧は既に木の根元に置かれている」(マタイ3 :10、ルカ3 :9)。ここでは終末論が強く意識されている。
 しかし、マタイが伝える「悔い改めよ」というメッセージは、最初に書かれたマルコの福音書では、ヨハネではなくイエスのものとされている。ヨハネが捕らえられ、イエスの活動が始まったとき、その第一声が「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1 :14)であったというのだ。
 果たして洗礼者ヨハネの教えの核心はどこにあったのだろうか。

洗礼者ヨハネが処刑された原因と場所

 聖書は、洗礼者ヨハネが捕らえられたのは、ヘロデ・アンティパスが義兄弟の妻であったヘロディアと結婚したことを洗礼者ヨハネが非難したためであると伝えている。これは伝説の類であろう。実際には、ヨセフスの言う通り、暴動の首謀者となりうる、あるいは担ぎ上げられうると恐れられたからだと思われる。
 しかし、ヘロデがヘロディアと結婚しようとしたため、前妻の実家のアレタス王と戦争になり、その戦いに敗れた地がちょうどヨハネを処刑したところだったから、何かヨハネの祟りのように言われるようになり、聖書に採用されたような伝説が生じたのだろう。

 なお、ヘロディアの元夫のフィリポというのは、トラコン地方の領主となったフィリポではなくて、ヘロデ大王のまた別の息子である。トラコン地方のフィリポは、ヘロディアの娘サロメと結婚している。
 聖書では、ヨハネの首を所望したのがこのサロメであると言われるが(聖書には彼女の名前は出てこない)、ヨセフスによれば、ヨハネはマカイルスという死海東方の要塞で処刑されたことになっているので、これもまた伝説にすぎまい。

洗礼者ヨハネが処刑された年

 さて、ヨセフスを訳した秦剛平は、ヨハネの死の所に、何の説明も加えず「三七年ころ」と注を入れている。ヨセフスの記述を読む限り、ヨハネの死はヘロデ敗戦より前のことであるとしか言ってないようであるが、恐らく秦はその直前と考えたのだろうか。しかし、恐ろしく重大なことをしれっと書いている。
 なぜなら、イエスは37年まで生きてはいないからである。
 マルコによれば、イエスはヨハネから洗礼を受け、ヨハネが捕らえられた後、ガリラヤで独自の活動を始めたように書かれている。それだけなら、捕縛後相当の年月がたってから殺されたのだと考えることもできなくはないが、しかし、その死はイエスの在世中のことであったとも明瞭に書かれている。
 聖書の記述がヨハネの処刑の原因と場所についてかなり伝説に彩られているのは確かだろうが、果たしてその年までも、しかもイエスとの関係において、大きく間違っているということがあるだろうか。

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