本の覚書

本と語学のはなし

キリスト証言【読書メモ】

 さてこのころ、イエスス(イエス)という賢人――実際に、彼を人と呼ぶことが許されるならば――が現れた。彼は奇跡を行う者であり、また、喜んで真理を受け入れる人たちの教師でもあった。そして、多くのユダヤ人と少なからざるギリシア人とを帰依させた。彼こそはクリストス(キリスト)だったのである。
 ピラトスは、彼がわれわれの指導者たちによって告発されると、十字架の判決を下したが、最初に彼を愛するようになった者たちは、彼を見捨てようとはしなかった。すると彼は三日目に復活して、彼らの中にその姿を見せた。すでに神の預言者たちは、これらのことや、さらに、彼に関するその他無数の驚嘆すべき事柄を語っていたが、それが実現したのである。なお、彼の名にちなんでクリスティアノイ(キリスト教徒)と呼ばれる族は、その後現在に至るまで、連綿として残っている。(『ユダヤ古代誌』18.4.63-64)

 これがいわゆるヨセフスのキリスト証言である。

 キリスト教文献以外にイエスの実在を証言する古代の歴史家というのは、タキトゥスとヨセフスくらいしかいない。
 前者の『年代記』は29年から32年を欠いており、それはちょうどイエスの活動期間に重なるわけだが、そこにイエスへの言及ががあったかどうか、今では分からない。
 しかし、64年のローマの大火の責任をネロがキリスト教徒に負わせたという記述をする際に、その名の起因となったキリストに簡単に触れている。すなわち、「クリストゥスなる者は、ティベリウスの治世下に、元首属吏ポンティウス・ピラトゥスによって処刑されていた」(『年代記』15.44, 国原吉之助訳)というものである。彼はこの教えをはっきり「迷信」と呼び、嫌悪感をあらわにしている。

 一方、ユダヤ人ヨセフスの証言は、なんとキリスト教寄りであろうか。秦剛平は訳注で言っている。「ある学者はこの記事の真実性を認め、ある学者はそれを否定する。またある学者はこの記事の一部に、後代のキリスト教徒による加筆ないし削除があると主張する。16世紀以降論争はいまだつづいている」。
 例えば、チャールズワース(『史的イエス』p.118-123)は基本的にこの記事はヨセフス自身の筆になるものと考える。しかし、「実際に、彼を人と呼ぶことが許されるならば」と「彼こそはクリストス(キリスト)だったのである」という部分は、キリスト教徒の写本家が最初欄外に書き、後に本文に組み込まれたものだとする。
 実際、10世紀のアラブ人キリスト教徒アガピウスのヨセフス引用には、この二か所が見られない。さらにもう一つ、「イエスの弟子たちは、イエスが十字架の三日後に彼らに現れ、彼が生きていたと報告した」と彼は主張しているという。この部分はチャールズワースの書き方があいまいであるが、たぶん、ヨセフスのギリシャ語テキストが断定している部分を、アガピウスのアラビア語テキストは伝聞としているということなのだろう。そうだとすれば、それがヨセフスの本来の文章であった可能性は高い。