本の覚書

本と語学のはなし

女性使徒【聖書】

新約聖書〈4〉パウロ書簡

新約聖書〈4〉パウロ書簡

 先ずは、ローマ人への手紙16章7節の岩波訳(青野太潮訳)。

私の〔ユダヤ人の〕同胞であり囚人仲間であるアンドロニコスとユニアとに〔よろしく、と〕挨拶するように。彼らは使徒たちのなかで秀でており、私よりも先にキリストにある〔者〕となった人たちでもある。

 そして、同じ個所の新共同訳。

わたしの同胞で、一緒に捕らわれの身となったことのある、アンドロニコとユニアスによろしく。この二人は使徒たちの中で目立っており、わたしより前にキリストを信じる者になりました。

 何が違うかと言えば、ユニアとユニアスである。これは例えばコリントをコリントスと表記するか否かというのとは全く違った意味を持っている。と言うのは、ユニアならこれは女性を指すし、ユニアスならば男性を指すことになるからだ。
 カトリックの聖書ではユニアと訳してきた。バルバロは「ユニアという名は、男か女かはっきりわからないが、この二人は夫婦らしいので、ユニアは妻であろう」と注している。フランシスコ会訳には何の注も付いていないが、したがってその名が女性を指すことも強調はされてはいないが、ユニアを採用している。
 一方で他の邦訳はみなユニアスである。たぶん底本がそちらを支持しているからなのだろう。「たぶん」と書いたのには訳があるのだが、それは後で書こう。


 この個所の青野太潮の注を見てみる。

定本は Iūnias という男性の名前を採用しているが、Iūnia という女性名ととりたい。Iūnias は Iūnianus の縮小形と考えられるが、古代の文献中ここ以外では全く用いられていない。シナイ写本、ヴァチカン写本などの重要写本はただ Iūnia としている。*1また対格形 Iūnian が本来のものであったとしても、アクセントが Iūniân となれば男性名となるが、Iūnían となればやはり女性名となる(原文にはアクセント記号はない)。教父たちの多くも、アンドロニコスとユニアという夫婦が言及されているととらえている。そうだとすれば、次の文章からして、女性も「使徒」と考えられていたことになる。

 それじゃあ、田川建三はどう判断しているのだろうか。実は彼は「ユニアス」を採用している。その解説に言う。

これは「ユニアス」という男性名ではなく、「ユニア」という女性名だ、という議論がある。ここではこの名は Junian という対格の形で出て来るのだが、この対格は男性名の Junias の対格でもありうるし、女性名の Junia の対格でもありうるからである。従って、単純な文法的可能性だけからすれば、五分五分。一部の「キリスト教フェミニスト」を自称する珍妙な護教論者たちが、五分五分である以上女性に決まっている、この人物を男性とみなすのはけしからん、女性差別だ、と騒ぎ立てているが、五分五分は五分五分であって、男女どちらかわからない、と言うのが正しい。五分五分である以上女性に決まっている、などと決めつけるのは算術の初歩も知らないと言われよう。しかし、確かに名前の文法的形からすれば男女五分五分だが、パウロと一緒にどこかで逮捕されて同房の囚人となったというのだから、男性である可能性の方がはるかに大きい。いくら古代だからとて、つかまえた囚人を男女同房に放り込むなどということはあまり考えられない。(訳と註4, p.349-350)

 田川の念頭にあるのは、青野というよりも荒井献かもしれない。最近たまたま荒井の『初期キリスト教霊性』(岩波書店)という本のアマゾンのレビューを見ていたら、新共同訳ではプロテスタントカトリックを押し切って「ユニアス」を採用したが、荒井は実は女性使徒がいたことを強く信じているということが書かれているらしいのだ。


 それにしても、女性司祭を認めないカトリックが女性名を採用し、もっと進歩的な印象のあるプロテスタントが男性名に拘泥するとはどうしたわけか。
 しかし、これは別にフェミニズムとは関係ないようだ。カトリックがユニアとするのは、ウルガタの Iuniam という対格形から、Iunia という女性名である蓋然性が高いと考えるのであり、プロテスタントギリシャ語聖書が後生大事であるから、底本の権威を決してゆるがせにはしないだけのことである。
 つまり、青野も言う通り、底本はどうもIūniânであるらしいのだ。
 らしい、と書いた。なぜか。私はその底本を持っていないから、参照できないのだ。私が持っているギリシャ語聖書は、ネストレも UBS も彼らが翻訳した後に出た版なのである。そして、その最新の版によれば、いずれも Iūniân ではなく、Iūnían を採用している。すなわち、女性名ユニアを支持しているのだ。
 なんとも皮肉な話である。
 ただし、事実はユニアであったかユニアスであったか、それはやはり五分五分である。少し長くなるが、メッツガーが UBS に付けた注を書き抜いておく。

On the basis of the weight of manuscript evidence the Committee was unanimous in rejecting Iūlían in favor of Iūnian, but was devided as to how the latter should be accented. Some members, considering it unlikely that woman would be among those styled “apostles”, undestood the name to be Iūniân (“Junias”), thought to be a shortened form of Junianus. Others, however, were impressed by the fact that (1) the female Latin name Junia occurs more than 250 times in Greek and Latin inscriptions found in Rome alone, whereas the male name Junias is unattested anywhere, and (2) when Greek manuscripts began to be accented, scribes wrote the feminine Iūnían (“Junia”).
The “A” decision of the Committee must be understood as applicable only as to the spelling of the name Iūnian, not the accentuation. (A textual Commentary, pp.475-6)

 Iūniân か Iūnían かは両論併記であり、この部分の本文の確からしさが A と評価されているのは、Iūlían にたいする Iūnian の確からしさであって、アクセントのつけ方についてではないと書かれている。

参照

初期キリスト教の霊性―宣教・女性・異端

初期キリスト教の霊性―宣教・女性・異端

  • 作者:荒井 献
  • 発売日: 2009/04/23
  • メディア: 単行本
Textual Commentary on the Greek New Testament

Textual Commentary on the Greek New Testament

*1:この部分、よく分からない。ネストレの欄外注では、シナイ写本、ヴァチカン写本などは sine acc. だと書かれているが、この acc. を対格(英語の accusative)と受け取ったものか。しかし、UBS では親切に英語で省略なしに書かれているように、これは without accents のことであり、対格の語尾を欠いた主格形であるという意味ではない。