本の覚書

本と語学のはなし

パウロと結婚【ドイツ語】

So gab es für Paulus zwischen ehelicher und religiöser Bindung eine unüberbrückbare Spannung. Verheiratete sind gespalten zwischen Ehepartner und dem Herrn (ⅠKor 7,32ff). Der Eph macht aus dieser Konkurrenz ein harmonisches Abbildverhältnis: Die Ehe ist Abbild des Verhältnisses Christi zu seiner Kirche. ...... Wichtig ist dem Eph: In der Ehe kann jeder ein heiliges Leben führen, wobei die sexuelle Vereinigung als Abbild des Geheimnisses der Kirche auch geheiligt ist (Eph 5,22-33). Selten wird die Sexualität im NT so hoch gewertet wie hier. (p.88)

例えば、パウロにとっては、結婚による結合と宗教上の結合の間には架橋しがたい緊張が存在した。結婚している者たちの心は結婚している相手と主との間で引き裂かれている(Ⅰコリ32以下)。エフェソの信徒への手紙はこの競合関係を……転じて一つの調和的な模写関係に造り変える。すなわち、結婚とはキリストと教会の間の関係の模写だと言う。……エフェソの信徒への手紙にとって重要なことは、誰であれ結婚しても聖なる生活をおくることができるということである。その聖なる生活には、教会の秘儀を模写するものとして性的結合も属する(エフェ5 :22-33)。新約聖書でこの手紙の場合ほど性が高い評価を与えられるのは希である。(p.201)

 タイセン『新約聖書』の中の、エフェソの信徒への手紙の解説から。邦訳は増補改訂版を底本にしているが、この部分はほぼ一致していると思う。


 二つのパウロ書簡の結婚観を比較してみる。

思い煩わないでほしい。独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、心が二つに分かれてしまいます。独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして、主のことに心を遣いますが、結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います。このようにわたしが言うのは、あなたがたのためを思ってのことで、決してあなたがたを束縛するためではなく、品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです。(コリントの信徒への手紙一7 :32-35)

わたしたちは、キリストの体の一部なのです。「それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。」この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです。いずれにせよ、あなたがたも、それぞれ、妻を自分のように愛しなさい。妻は夫を敬いなさい。(エフェソの信徒への手紙5 :30-33)

 前者では情欲のために汚れるよりは結婚した方がいいが、できれば独身でいた方がいいと言う。後者ではむしろ、結婚はキリストと教会の偉大な神秘の似姿である。キリストが教会を愛したように夫婦は互いに愛し合いなさいと言う。
 どうしてこのような自己矛盾が起こるのか。と思うかもしれないが、パウロの名を冠した手紙が全てパウロの手紙であるわけではなく、いくつかの手紙はパウロの影響圏の中でパウロ没後に書かれたものだと考えられている。もちろんそんなことは絶対に認めないというクリスチャンは多いだろうけど。
 ちなみに、タイセンの本でパウロの名による書簡とされているのは、Ⅱテサロニケ、コロサイ、エフェソ、Ⅰテモテ、Ⅱテモテ、テトス。まあ、福音書だって使徒のマタイやヨハネが書いたとは誰も思っていないのだし、古代の著作というのはそういうものだと思っておけばよいのではないだろうか。


Das Neue Testament

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新約聖書―歴史・文学・宗教

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