本の覚書

本と語学のはなし

日の名残り/カズオ・イシグロ

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

 今はアメリカ人の主人の仕える執事の旅行。目的はかつての女中頭に会って、復職を勧めること。その旅の間に様々な過去が思い出される。
 一人称小説なのだが、意識的に、あるいは無意識的に、その記憶にはバイアスがかかり、歪められているようでもある。かつての主人に対し、そしてこれに忠誠をもって仕えた自分に対し、正当化の必要があったのだろう。
 しかし、どのように記憶を繕ってみたところで、かつての主人は対独協力を積極的に買って出た歴史の敗者であったし、盲目的にこれに仕えた主人公執事は恐ろしく人間的な感情に心を閉ざして、これをプロフェッショナルと考える未熟な人間であった。
 旅の最後にかつての女中頭に会い、当時の彼女の気持ちを確認することで、ようやく主人公執事の認識は解放されるのである。

ダーリントン卿は悪い方ではありませんでした。さよう、悪い方ではありませんでした。それに、お亡くなりになる間際には、ご自分が過ちをおかしたと、少なくともそう言うことがおできになりました。卿は勇気のある方でした。人生で一つの道を選ばれました。それは過てる道でございましたが、しかし、卿はそれをご自分の意思でお選びになったのでございます。しかし、私は……私はそれだけのこともしておりません。私は選ばずに、信じたのです。私は卿の賢明な判断を信じました。卿にお仕えした何十年という間、私は自分が価値あることをしていると信じていただけなのです。自分の意思で過ちをおかしたとさえ言えません。そんな私のどこに品格などがございましょうか?」(p.350)


 品格。これこそは主人公執事が追い求め、何ほどかは自分に備わっていると自負してきたものであった。彼の記憶はそれを証明するために呼び覚まされたとも言える。しかし、最後に彼は自らそれを否定するのである。
 彼は泣いた。直接泣いたと描写されてはいない。見ず知らずの男との会話の中で、示唆されるだけである。それが振るっているので、上の台詞と順序は逆になるが、書き抜いておく。

「おやおや、あんた、ハンカチがいるかね? どこかに一枚もっていたはずだ。ほら、あった。けっこうきれいだよ。朝のうちに一度鼻をかんだだけだからね。それだけだ。ほら、あんたもここにやんなさい」(p.349)