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本の覚書

本と語学のはなし

徴税吏員 ―【第13回】短編小説の集い―

 短歌の方はすっかりやめてしまいましたが、小説はまた書きたいなと思っていました。久しぶりに参加します。
 思い立ったのが25日で、あまり構想も練らないまま見切り発車してしまいました。ちゃんと形になっているのかどうか不安ですが、ともかくも書き上げましたので、投稿します。

徴税吏員

「子供の頃、出目金を飼っていたことがあってね」
 ホテル近くの居酒屋で、飲みすぎないように用心しながら生ビールのジョッキを傾け、鮭介けいすけが言う。
「その頃はまだ駅の下に汚らしい地下街があってね、そこで買ってもらったんだけど、ちっちゃな出目金があれよあれよと丸々太ってきてね」
 鯉子りこは「丸々」という言葉に反応して、汗ばむ自分の二の腕を見た。少しむっちりとしているが、肥えているわけではない。
「その肥えた出目金がね、ある朝忽然と消えちゃったんだ」
「えっ」
 鯉子が目を上げる。
「猫にはおいしそうに見えたんだろうね」


 鮭介は地方の役所で税金の徴収をしている。鯉子はその同僚である。それまで女性が徴税吏員に任命されることはなかったが、取り立てなどという野蛮な仕事は役所の中で一段低くみなされており、役所のスリム化を図る改革の中で徴税部門は真っ先に人員を削られて、それまで専ら事務仕事を担当していた鯉子にも取税人に身を落とさねばならない日がやって来たのである。
 この日、二人はペアを組み、東京出張に繰り出していた。地方税の滞納者が地方に住んでいるとばかりは限らない。未納分を残したまま引っ越す人もあれば、不在地主が固定資産税を払えなくなることもある。
 しかし、取り立ての旅が奏功することは滅多にない。第一に、払う能力も意志もある人間が悪質な滞納者になることはあまりない。払えないか、払いたくないのだ。第二に、出張徴収に行くことを文書で予告している。納付書も同封しているから、払う人はそれで払うし、そうでなくとも良心的な人ならば何らかの連絡を寄越す。そうして無反応の人のところに行くのだから、もともと徴収の見込みはほとんどない上に、行く日を指定しあるから、どうぞその日は留守にしていてくださいと言っているようものである。もっとも、滞納者の多くは、実は役所からの郵便なんぞ全く目を通していない。それでもほとんど彼らに会えないのは、第三に、お役所仕事であるから、基本的に平日の昼間に訪問するためである。わざわざ留守にしているであろう時を狙っているようなものだ。
 それで結局どうするかと言えば、本当に来ましたよという印に、郵便受けに文書を入れてくる。差し押さえ予告という強い文面ではあるが、しかし、実際差し押さえらる債権なり動産なり不動産なりがあるのかどうかなど、調査しているわけではない。ただの脅迫である。これを見て入金する人もあるにはある。
 税金を使って出張し、それに見合うだけの税金を徴収できているのかと言えば、甚だ心もとない。それでこの出張を取りやめるべきではないかということはしばしば問題になるのだが、出張前後の入金もあることだし、それに近場にいない人からは本気で徴収したりしないなどというのでは、役所が一番大切にする公平性に傷がつく。いつもそんな理屈で、存続が決定するのである。
 そんなわけで、この出張は歩くことは甚だ歩くけれど、滞納者と対峙するという緊張はあまりなく、ちょっと物見遊山のような気分で行われるものなのである。


 鯉子はビールジョッキを傾けた後、身を乗り出してきたように見えた。
「金魚が食べられたと言えば…」
 なんでこんな話を始めたんだろうと思いながら、鮭介は話をそらそうとした。
「最後の晩餐の修復をしたらね、今までよく見えなかった皿の上のメニューは実は魚料理だったんだって」
「最後の晩餐って」
「うん、ダ・ヴィンチの」
「ふうん」
 なんでまたダ・ヴィンチなんて持ち出したんだろうと思って、鮭介は慌ててビールを口に含む。
 数日前にテレビのクイズ番組で見たのだ。高額賞金のかかった最終問題だ。最後の晩餐に供された料理は何であったか、次の四つの選択肢から選びなさい。一、パスタ。二、魚。三、肉。四、野菜。
 パスタは時代錯誤じゃないかしらん。それにダ・ヴィンチはイタリア人だが、最後の晩餐が行われたのはエルサレム近郊である。魚? よく分からん。肉は当時の過ぎ越しの祭りの習慣として子羊を屠って食べるということはあるらしいから、食べていて不思議ではないが、キリスト教成立後には、イエスの死までの四旬節には肉断ちをすることになっている。カーニヴァルはカルネ・ヴァレ(肉よさらば)に由来するという説もあるくらいではないか。それなのに最後の晩餐で肉を食っていては、まずかろう。野菜? 過ぎ越しの食事に野菜?
 待てよ。魚といえば、イエスは数匹の魚を割いて五千人だの四千人だのを満ち足りるほどに食わせてやったことがある。そう聖書には書いてある。そして、それは聖体の秘跡の前表であると聞いたことがある。聖体の秘跡をイエスが制定したのは最後の晩餐の時だということになっている。パンを割いて、これは私の体である、取って食べなさいと言った、あれのことだ。とすると、魚とパンはいずれもイエスの肉を表象しているらしい。
 そうだ、そうだ。キリスト教世界ではよく魚がイエスを象徴するのではなかったっけ。イエス・キリスト、神の子、救い主。このギリシア語の頭文字を並べると、魚という単語が出来上がるのだった。
 すると、最後の晩餐は魚料理でなくてはいけないことになる。もし違うのだとすれば、ダ・ヴィンチの方が間違っている。
 正解は果たして魚料理であった。その興奮がまだ鮭介の内にあったのだ。


 昼間、二人は近くまで来たついでに、赤門をくぐり、学食で食事した。
 前の年に鮭介とペアを組んだ年配の男性が、ここでトイレを借りて、そのついで、大学名入りの包装紙にくるまれたトイレットペーパーを失敬してお土産にした。それを聞いた鯉子が自分も行きたいと言ったのだ。
 ところが、そういう不届きな輩が横行したせいだろうか、鯉子のためにトイレをいくつも探索してみたが、予備のペーパーは一切置いてなかった。鯉子は仕方なく売店で大学名入りのノートとシャーペンを買った。
 それから安田講堂をバックに携帯で写真を撮ってくれと言うので、鮭介はしぶしぶシャッターを押したのである。もちろん鯉子は安保闘争の記念として撮ったわけではない。
「明日、横浜に行ったら、久しぶりに私の大学に行きたいな」


「魚でも食べてそうなもんだけど、そうじゃなかったという話をしようか」
 慌てて鮭介は三度話題を変えた。
「学生時代の寮母さんなんだけどね」
 鮭介は学生時代の一時期、寮に入っていた。そこに住み込みの老婆がいて、寮生のためにゴキブリだらけの台所で毎日夕食を作っていた。よぼよぼだったけど、シンクを駆け回るゴキブリには、熱湯をかけて退治していた強者である。
「ある日、夕食の支度ができてなくてね、不審に思って何人かで寮母さんの部屋を見に行ったんだ」
「それでどうだったの」
「それがね…」
 言いかけて、突然笑いが込み上げてきた。
「それがね…」
 何がおかしいのか分からないが、笑いが止まらない。
「どうしたの」
「それがね、くくっ、カップラーメンを喉に詰まらせてね、くくくっ」
「それで」
「それでって、くくくっ、死んでたの、あひゃひゃひゃひゃひゃ」


 徴税吏員の関節が外れたらしい。そのまま笑い続けて、夕食を終え、ホテルに戻った。部屋は別の階にとってあった。ここからは鮭介一人の時間である。
 シャワーを浴びて、その日の仕事を整理し、翌日の準備をして、ベッドに横になる。
 微睡みかけたころだ。火災報知器が鳴った。本当に火事だろうか。誤作動かもしれない。じっと横になったまま動こうとしない。人はこうやって、まだ大丈夫と思いながら逃げ遅れるものだ。しかし、まだ大丈夫だろう。
 もし俺が魚であったなら。鮭介はそんなことを考え始めた。もし俺が魚であったなら、今俺は焼き魚になろうとしているのか、魚の燻製になろうとしているのか。まあ、どっちでもいい。どっちであろうと、俺が食われるもんでもない。俺に食われる器量はない。
 やがて、誤作動であったというアナウンスが入る。暫くして、鮭介の部屋のドアを誰かがノックする音が聞こえたが、鮭介は横になったまま起き上がろうともしない。
 明日、大学に行くことはないさ。そう思いながら、鮭介は深い眠りに落ちた。

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