本の覚書

本と語学のはなし

とどめの一撃/ユルスナール

とどめの一撃 (岩波文庫)

とどめの一撃 (岩波文庫)

 職場で読む小説の感想はなかなか書きにくい。メモ用紙はふんだんにあるが何も書かないし、付箋も用意してあるけど貼らないし、胸ポケットに差しているペンで線を引いたりすることもない。集中できない環境の中で何となく読んで、おしまい。
 ユルスナールのようなやや抽象的な文体で書かれた物語であれば、なおさらのこと、漠とした感動を言葉に翻訳することができそうにない。


 ユルスナールの本はこれまで『東方綺譚』を読んだことがあるだけでしかないが、『とどめの一撃』には、一層彼女の基本的な本質が表現されているような気がする。実際に聞いた話に古典的な悲劇性を認めて感動し、小説にしたと言う。しかし、話のモデルの内には、ユルスナールの身を焦がしたある恋の記憶が色濃く反映されているようだ。同性愛者に対する、叶うことのない恋。
 後年書かれた「序」の言葉。

 『とどめの一撃』の執筆に私を選ばせた理由のひとつは、これらの登場人物に内在する高貴さであったと付け加えれば、自分が時勢にさからうことになるのは十分承知している。この言葉の意味について、誤解のないようにしておかなければならない。私にとって高貴さとは、利害打算の完全な不在を意味する。(p.14-15)

 高貴さの相のもとに燃焼し、あるいは変形してゆく恋の形。彼女の代表作を読んだことはないけど、この辺りに彼女の真骨頂があるのかもしれない。


 ところで、ユルスナールというのは本名のアナグラムだそうで(アメリカ市民権を取得した時には、マルグリット・ユルスナールを本名にしている)、私も自分の名前で考えてみたのだけど、あまりいいものができない。たとえば摂田屋九段とか。