本の覚書

本と語学のはなし

旧約聖書Ⅶ イザヤ書/旧約聖書翻訳委員会訳

旧約聖書〈7〉イザヤ書

旧約聖書〈7〉イザヤ書

彼には威容なく、
またわれらの見るべき輝きもなく、
またわれらの慕うような美貌もなかった。
彼は蔑まれ、人々に見捨てられ、
苦しみの人、病に狎れた者であった。
顔を背けられる者のように蔑まれ、
われらも彼を顧みなかった。
まことにわれらの病を、彼こそが負い、
われらの苦しみ、それを彼は担ったのだ。
しかしわれわれが、彼について思っていたのは、
叩かれ、
神に打たれ、痛め付けられているのだ、と。
ところが彼は何と、
われらの不義のゆえに、刺し貫かれ、
われらの咎のゆえに、砕かれていたのだ。
われらの平安のための懲罰は、
彼の上にあり、
彼の打ち傷によって、
われら自身は癒されていたのだ。
われらは皆、羊のようにさ迷い、
おのおの己が道に向かった。
ところがヤハウェは、彼に執り成しをさせた、
われら皆の咎に対して。
虐げられたが、しかし彼こそは忍び、
口を開かず、
屠り場へ引かれる子羊のように、
あるいは毛を刈る者の前に黙す雌羊のように、
口を開くことをしなかった。(53章2-7節)

 キリスト教徒にとって、イザヤは旧約の中でも殊に重要な預言者であるが、ここに引用したような代贖の思想というのは、ユダヤ教徒の間ではその後あまり発展することがなかったようである。


 イザヤ書。長い預言書であるけど、現在ではイザヤが一人で書いたものとは認められておらず、第一イザヤから第三イザヤまで分割され、第三イザヤなどは複数の預言者の寄せ集めであろうと言われるし、それぞれに後世の編集の手が入っており、原イザヤの復元などということになると、史的イエスとは比較にならない程煩瑣な作業が必要なようである。
 便宜的に書いておくと、第一イザヤは1章から39章まで。北王国がアッシリアに滅ぼされた頃、南王国で活動した(彼の活動は歴史書にも書かれている)。人々の罪をあばきつつ、ますます人々が頑迷になっていくのを見出す。
 第二イザヤは40章から55章まで。バビロン捕囚末期から、エルサレム帰還に至る時代。第一イザヤのかすかな希望を受け継ぎ、発展させる形で、メシアによる贖罪の思想へと到達する。
 第三イザヤは56章から66章まで。バビロン捕囚開放以降、第二神殿建設の頃。第二イザヤの強い影響下に、複数の作者が書いたと推定されるが、その問題意識もまた多様である。

広告を非表示にする