本の覚書

本と語学のはなし

R62号の発明・鉛の卵/安部公房

R62号の発明・鉛の卵 (新潮文庫)

R62号の発明・鉛の卵 (新潮文庫)

 『壁』の後、まだ長編作家として大成する前に書かれた短編を12編収録する。
 渡辺広士は解説の中で、これらの作品から読み取れる安部流の仕掛けを4つ挙げている。長いが全部引用してしまおう。

 一、動物・植物・鉱物を人間と同列に置くこと。このことから、人間と動物・植物・鉱物を互いに変換したり、人間をそれらに変形させたりという発想が生まれる。二、観念あるいは精神には物質あるいは肉体を対置させる。正確に言えば、後者を優位に置くということ。「生活が意識を規定する」というマルクスの言葉のように。そこから、生に対して死を、また死という観念に死体を、という発想が生まれる。三、現在に対して未来を対置する。現実とは、いまだない、あるべきもののヴィジョンに照らし出される時にだけ真の姿を現すと言うべきか。それとも、こう言った方がいいかもしれない、安部公房の考える百八十度転換は、文学の、芸術の、想像力の転換であり、人間活動のこの領域では、いまだないものの透視ヴィジョンと関わることだけがリアルなのだと。四、すべての既成概念の転換ということのもっとも具体的で根本的な問題は、共同体の問題となる。国家という問題が二十世紀の最大問題であるように。安部公房は共同体と個人、全体と個という問題を解くために、いかなる共同体からも脱出し失踪する自由という発想をする。この問題は十二編の中では、まだ大きく現れてはいないが。(p.352-353)

 この寓話世界が現実状況とうまく噛み合う点が見いだせれば長編になりうるのであり、その予感はすでに『鏡と呼子』や『鉛の卵』などに見出すことができる。『砂の女』はこれらの5年後に書かれた。
 安部公房のモチーフは、今でもまだそれが書かれる言語の登場することを待ち続けているのではないだろうか。


 職場での仮眠の時間を利用して読んでいたのだが、どうもすぐに内容を忘れがちになってしまう。やっぱり新共同訳聖書を繰り返し読むということが、職場の読書には合っているのかもしれない。

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