- 作者:ヴェルレーヌ
- 発売日: 1950/11/28
- メディア: 文庫
たぶんヴェルレーヌは至極やさしいフランス語で作詩している。だから却って、日本語へ移植するのは至難の業かもしれない。訳者の癖がもろに出てしまうようだ。
岩波文庫の『フランス名詩選』で原文を確認できるものと堀口訳を二つだけ比較してみる。
まず「秋の歌」の第一連。
Les sanglots longs
Des violons
De l’automne
Blessent mon cœur
D’une langueur
Monotone.
秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
ひたぶるに
身にしみて
うら悲し。
「ひたぶるに」はたぶん「モノトーン」を訳したものだろうが、語学の試験であれば落第である。「サングロ」も詩語としては「悲しみ」の代用として用いられはするけど、文字通りには「嗚咽」のことであり、「ためいき」のイメージではない。
堀口大學訳。
秋風の
ヴィオロンの
節ながき啜り泣き
もの憂き哀しみに
わがこころ
傷つくる。
原文は単に「秋のヴィオロン」とあるばかりだが、ある日これは風の音のことだと気が付いて、「秋風のヴィオロン」に改訳したそうだ。しかし、そういう解釈は訳し込まないほうがいい。
ちなみに、『フランス名詩選』の編者・渋沢孝輔の訳。
秋の日の
ヴァイオリンの
ながいすすり泣きに
こころ傷み
単調な
もの悲しさを誘われる。
あまり色のない訳かもしれないけど、ヴェルレーヌはそれでいいのかもしれない。
もう一つ。「〔たった一人の、たった一人の女のせいで〕」の冒頭二連。
Ô triste, triste était mon âme
A cause, à cause d’une femme.
Je ne me suis pas consolé
Bien que mon cœur s’en soit allé.
堀口大學訳。
たったひとりの女のために
わたしの心は痛かった
今ではどうにかあきらめたが
そのくせわたしは泣いている
一連目、「トリスト(悲しい)」、そして「ア・コーズ(~のせいで)」のリフレインが全く無視されている。実にあっさりしているが、そのくせ、二連目、単に「慰められない」となっているところを、「泣いている」としたのは少し筆を滑らせすぎている。
『フランス名詩選』の渋沢孝輔訳。
たった一人の、たった一人の女のせいで
ぼくの魂はもう悲しくて、悲しくて。
どうにも気持ちが慰まなかった
とうに心は離れてしまっているというのに。
外国の詩を翻訳で読むのはとてももどかしく、やはり原文で読まなくてはいけないと思うのだけど、それはそれで大変で、ため息しか出ない。
その他のメモ。
詩の奥義を語るその名も「詩法」という詩が興味深いのだけど、長くなるので引用はやめておく。興味のある人は新潮文庫の220ページを開いてみてください。
ヴェルレーヌと妻とランボーとレチノアの関係をもっと知りたい。