本の覚書

本と語学のはなし

新版 古今和歌集 現代語訳付き/高田祐彦訳注

やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて言ひ出せるなり。花に鳴く鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして、天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女の仲をもやはらげ、たけき武士(もののふ)の心をもなぐさむるは歌なり。(仮名序)

 職場に持っていき、始業までのわずかな時間にちびりちびりと読んでいた(そして、時々中断していた)『古今和歌集』がついに終わった。1100首を全部読み終えた感想を一言でいえば、「ビギナーズ・クラシックスで十分だったのでは?」。
 とは言え、歌の配列にも十分な配慮が施されており、そこから解釈を引き出すという妙味はやはり通読でなければ味わえないものである。


 和歌は必ずしも万葉の頃から順調に発展してきたわけではない。勅撰漢詩集の編まれた(菅原道真の祖父などが中心メンバーとなった)嵯峨天皇淳和天皇の時代には、和歌の地位は低下していた。
 和歌復活の陰には、天皇家との身内関係を強化するための藤原良房による普及政策があったようだ。「娘を入内させ、天皇家との血縁関係を深めてゆくために、後宮の女性を中心とする集団に緊密な人間関係を形成することが求められ、そこに天皇も含めた形で和歌が流通する場が作られたのである」(解説 p.528)。仁明天皇四十賀に興福寺の大法師らが奉納したという長歌は日本古来の和歌の意義を断然強調した内容であるが、これもまた興福寺と深いつながりのあった良房の演出であったと考えられている。
 文徳天皇から清和天皇の頃になると六歌仙の時代になる。和歌が大きく変化し、斬新で派手でやや過剰気味。この前衛的な時代は、『古今和歌集』にとっての近代である。
 宇多天皇は和歌を好み、歌合なども開いている。ここから現代が始まる。そして、宇多天皇の出家後に即位した醍醐天皇のもと、初の勅撰和歌集として『古今和歌集』が編まれるのである。その前夜、藤原時平の謀略によって菅原道真が左遷されたのは、まことに象徴的な事件であった。