川柳のイメージが変わった。サラリーマンの悲哀だとか、駄洒落だとかを盛り込むものとばかり思っていたが、駄洒落など論外であるし(まあそれはそうだろうと気づいてはいたが)、ユーモア川柳のほかに、時事川柳もあれば抒情的川柳というものもある。
監修者のやすみりえは抒情を得意とするようだ。例句として監修者自身の句もたくさん採られているから、少し引用しておこう。
咲いてまた逢いたい人の名を想い
ハッピーエンドにさせてくれない神様ね
「またね」って言ってくれないから秋ね
短々歌と言いたくなるような趣だ。詩であるのか、文学であるのかよく分からないが、短歌が長すぎると感じる人は、川柳でもいいんじゃないだろうか。川柳は人間を客観的に観察するものであるらしく、単に短歌を短くしたものとは違うとは言うけれど、しかし抒情は基本的に主観的なものではないだろうか。
一番自由なのは短歌である。ひょっとしたら短歌はあらゆる過去と断絶し、もう既に昨日までの短歌とは違った独自の芸事になり始めているのかもしれない。
短歌を作ると言うとき、その短歌という言葉が一体何を指しているのか、私には分からなくなってきている。