本の覚書

本と語学のはなし

創作の極意と掟/筒井康隆

創作の極意と掟

創作の極意と掟

 目次を引用すると、凄み、色気、揺蕩、破綻、濫觴、表題、迫力、展開、会話、語尾、省略、遅延、実験、意識、異化、薬物、逸脱、品格、電話、羅列、形容、細部、薀蓄、連作、文体、人物、視点、妄想、諧謔、反復、幸福。
 「小説とは何をどのように書いてもよい文章芸術の唯一のジャンルである、だから作法など不要」(p.8)というのが筆者の持論であるが、しかし筆者にしか書けそうにないこともたくさんあるし、これまであまり書かれることもなかった事柄を取り上げて、作家としての遺言とするというのである。
 だからここにふつうの小説作法を求めても無駄であるけど、創作にまつわる無類に面白いエッセイであることは間違いないし、ふつうの作法でないけどどれも試してみたくなるものばかりであることも請け合っておく。
 自由であるということは、一方で実験への義務を負っているということであるのかもしれない。


 なんか創作はしたい。じゃあどのジャンルがいいのか。それがよく分からなくて困っている。いくつか候補を挙げてみよう。

① 小説
 一番書きたかったのは小説に違いないが、長編に取り組むだけの根気はなく、取材に出掛ける行動力もない。
 私の知っている世界、もしくは大部分空想で何とかなりそうな世界を題材として、短編を書くしかない。それも、きっとショートショートくらいの長さにしかならないのだが、ワン・アイディアでいいとはいえショートショートというとなんか作法が決まっているよう気もするし、いつまでもアイディアが続かないような気もするし、案外難しそうでもある。でも、ベリーショートでありながら重厚な感じが出せたらいいね。
 ところで、一人で書くのはやっぱり難しそうなので、また短編の集いに参加するかもしれない。でもちょっと批判が怖い。

② 童話
 ある程度空想だけを頼りにそこそこの分量が書けそうな気もする。問題は私に童心があるのかということ。子ども向けにはならないかもしれず、それを童話と言ってはいけないのかもしれない。

③ 詩
 詩はいつでも書いてみたいと思うものの、鑑賞する能力がないくせに書くことなどできるのかしらん。もうちょっと現代詩のアンソロジーを読みつつ、触発されるのか否か見極めていきたい。

④ 短歌
 定型に収めることはなんとか出来るようになってきたが、なぜこの定型にこだわらなくてはいけないのか、ずっと疑問を抱きつつ詠むことになるのだろう。どうしても遊びみたいになってしまうことが多く、どの瞬間に詩へと昇華するのかつかみがたい。
 だがまあ、始めてしまったことではあるし、しばらくはああだこうだ言いつつも、勉強し、実作し、また勉強するということを続けてみたい。最終的に放棄するとしても、まだ結論を出すには早すぎるだろう。