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本の覚書

本と語学のはなし

更級日記を始める

更級日記  新潮日本古典集成 第39回

更級日記 新潮日本古典集成 第39回

 『源氏物語』の「少女」(あるいは「乙女」)の巻を終えたところで、『更級日記』を読み始める。結局古文は日々少量ずつ読む方法を続けることにした。
 高校時代、古典文法を覚えてたての頃に、岩波文庫で何冊か古文を読んだ。夢中になったのは『徒然草』くらいで、『更級日記』は読むには読んだが、ほとんど分からなかった。内容といえば、関東から京に上ったことくらいしか記憶にない。つまり、冒頭部分以外は読まなかったも同然である。
 その冒頭部分。

 あづま路の道の果てよりも、なほ奥つ方に生い出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひはじめけることにか、世の中に物語といふもののあんなるを、いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなる昼間宵居などに、姉継母などやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままにそらにいかでかおぼえ語らむ、いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏を造りて、手洗ひなどして、人まにみそかに入りつつ、「京にとく上げたまひて、物語の多くさぶらふなる、あるかぎり見せたまへ」と、身を捨てて、額をつき祈り申すほどに、十三になる年、のぼらむとて、九月三日門出して、いまたちといふ所にうつる。
 年ごろあそび馴れつる所を、あらはにこほち散らして、たちさはぎて、日の入り際のいとすごく霧りわたりたるに、車に乗るとてうち見やりたれば、人まには参りつつ額をつきし薬師仏の立ちたまへるを、見捨てたてまつる悲しくて、人知れずうち泣かれぬ。


 すごい。「等身に薬師仏を造りて」って。今の小学高学年くらいの女の子が、小説が読みたい一心で1メートルを超えるような(当時のこの年代の平均身長は知らないが)仏像を自作するのである。誰かに作ってもらったのかもしれないが、表現を文字通りに取れば自分で作ったと考えるしかない。
 「身を捨てて、額(ぬか)をつき祈り申す」! そして小学生が、仏像に向かって身を投げ出し、全身全霊で祈るのである。小説をあるかぎり全部読ませてくださいと。
 お姉ちゃんは「よしなさい」とか言わなかったんだろうか。狂信的に祈るのは秘密であっても、仏像作りが隠密に行われたとは考えにくい。文学的な虚構でないとしたら、まったく凄まじくて、読みつつ思わずにやけてしまった。
 それにしても、作者の門出を見送る薬師仏が心憎い。

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