特にユニークなのがチェーン式引照。引照というのは聖書内の関連記事がすぐに探せるよう書名と章節を欄外に記したものだが、それだけなら普通の新改訳でも、口語訳や新共同訳でも求めることができる。
しかし、チェーン式はもっと神学的に組織された工夫である。ここでは6つの関連項目が表示される。①重要な思想が示される当該箇所、②最初にその思想が言及される箇所、③当該箇所の直前にその思想が言及される箇所、④当該箇所の直後にその思想が言及される箇所、⑤その思想が最後に言及される箇所、⑥その思想の説明がつく箇所。
②から⑥の個所を調べると、同じようにその思想の6つ言及箇所が示されている。これをぐるぐるチェーンを回すように辿れば、どんどん聖書の関連個所を結び付けていくことができるという仕組みだ。
たとえばマタイの福音書28章19節のところは三位一体の思想が現れるところだそうで、チェーン式はこんなふうになっている。「†三位一体 二八19、創三22、マタ三16、ヨハ一四26、Ⅰペテ一2、‡マタ二八19」。
順に見て行こう。
①マタイの福音書28章19節 (当該箇所)
②創世記3章22節 (最初に三位一体が言及される箇所)
神である主は仰せられた。「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」
神が「われわれ」という複数形を使ったのを、三位一体の表現とみなすのは、こじつけに過ぎない。
③マタイの福音書3章16節 (直前に三位一体が言及される箇所)
こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊(みたま)が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。
④ヨハネの福音書14章26節 (直後に三位一体が言及される箇所)
しかし、助け主、すなわち父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
マタイの次がヨハネということは、マルコとルカの福音書には全く三位一体らしきことが書かれていないということか。
⑤ペテロの手紙第一1章2節 (最後に三位一体が言及される箇所)
父なる神の予知に従い、御霊(みたま)の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ。どうか、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。
⑥マタイの福音書28章19節 (三位一体の説明がつく箇所)
これは①と同じ個所である。三位一体の根拠としては相当弱い気がするが、ここに三位一体の説明がついている。
‡三位一体 このことば自体は聖書には用いられていないが、父、子、聖霊なる神が三つの異なる神ではなく、同じ神の三つの異なる人格であることが明らかに示されている。三位一体は神の奥義であり、人間の知恵では十分に理解できない。
チェーン式引照を全部鵜呑みにする必要はないし、そんなふうに聖書を読まなければ聖書を読んだことにはならないなどと言うべきものでもない。むしろ自縄自縛の罠に陥る危険もある。
それを承知したうえで使うならば、なかなか面白いとは思う。
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