本の覚書

本と語学のはなし

短歌パラダイス/小林恭二

 歌合という古式ゆかしい遊びに参加したのは、企画と司会・小林恭二(作家)、判者・高橋睦郎(詩人、歌人)、そしてプレイヤー20人の歌人たち。年齢順に名前を挙げると、岡井隆奥村晃作、三枝昂之たかゆき河野裕子、小池ひかる永田和宏、道浦母都子もとこ井辻朱美、大滝和子、加藤治郎じろう、水原紫苑しおん、田中えんじゅ荻原裕幸俵万智穂村弘ひがし直子、紀野恵、杉山美紀、吉川宏志ひろし梅内うめない美華子。


 1日目は2チームに分かれ、対戦カードは10。題は各カードごとに予め与えられ、短歌も予め提出されている。ただし、歌人が他の人の歌を見るのは対戦の直前であり、初見の歌をめぐって自チームを弁護し、相手チームをけなさなくてはならない。
 8番勝負のお題は「ねたまし」。対戦するのは俵万智と紀野恵。

「妻」という安易ねたまし春の日のたとえば墓参に連れ添うことの  俵万智
傾けむ国ある人ぞ妬ましく姫帝ひめみかどによ柑子かうじ差し上ぐ  紀野恵


 俵万智の歌は分かりやすくて、しかもはっとさせられる。一方で紀野恵の方は歌人の間でも解釈が定まらないところがあって、私は最初入って行けなかった。しかし、小林の読みを見ていく内に、なんだかこの人凄いなあと思い直した。
 この歌合の直前に行われた歌合での紀野の歌も紹介されていたので、引いておく。この時のお題は「夢」。

降り立ちてきのふのことはきのふとすゆめの曠野あらのゆ来たりし火车ほおちえ  紀野恵


 ああ、たぶんもう短歌はライトバースとしてしか詠まれなくなるのかもしれないけど、和漢の古典とか現代中国語とかに素養があって、それを詠み込むことのできる人の歌は、ちょっと真似のできない世界を持つのだなあ。
 さて、俵と紀野の対戦であるが、高橋の判は紀野の勝ち。前者は普通っぽさを装い、後者は物々しさを装ったが、俵の方にいつもの装いの度合いが足りなかったとのこと。


 2日目は3チームに別れる。3で割り切れないので、岩波書店のスタッフも参加する。
 1日目の対戦終了後にお題が出される。それをチームごとに各メンバーに振り分け、作った歌はチームの中でまず吟味に掛けられる。ほとんど徹夜の作業をして2日目を迎えるのである。これによってより団体戦らしくなった。
 10番勝負のお題は「芽」。詠み人の名は判定が出るまで明かされないルールなので、ここでも名前を出さずに引用してみる。

幾千の種子の眠りを覚まされて発芽してゆく我の肉体
約束は三時でしたね 微熱もつ発芽月ジェルミナールのきみの叛乱
家々に釘の芽しずみ神御衣かむみそのごとくひろがる桜花かな


 それぞれにいい歌なのだろうけど、判者はただ一言、「釘の芽しずみ」の勝ちにいたしましょう。
 作者は順に、俵万智、田中槐、大滝和子。俵も田中も、大滝の歌に当たったのが運のつきであった。


 これまで読んだ短歌の本の中では図抜けて面白かった。ぜひ短歌同好会の皆さんにも読んでもらいたい。と言いたいところだけど、それはちょっと躊躇する。
 本格的に歌作りをしたいならぜひにと薦める。しかし、ゆるゆると趣味的に続けたいだけならどうだろうか。というのも、私はここにひとつの啓示を聞いてしまったのだ。

   さんぽさん、あなたは歌なんか詠まなくていいんですよ。

 しかも私の耳は、短歌の精の啓示すら散文としてしか聞きなすことができないのである。