- 作者:永田 和宏
- 発売日: 2015/02/18
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
▼初心者にとって絶望的なのは、読み込んだ短歌の量が圧倒的に足りないことである。こういう本で名歌とその解説に触れられるのもありがたい。
▼斎藤茂吉の引用が殊に多くて古臭いと感じられるかもしれないけど、「斎藤茂吉は真に偉大な、近代以降最高の歌人だと私は思っていますが、いっぽうで茂吉歌集のなかに挟まれている、これまた膨大な量の数のどうでもいい歌の存在をおもしろく思うのです」(p.265-266)と著者は言っていて、時折そういう駄作に属するものも紹介されていて、これまたおもしろい。
▼著者は前衛短歌に影響を受けた人だから、カビの生えたような美意識で伝統墨守を金科玉条にする人ではない。
▼それでも、一般にはちょっとハードルが高いと思わせるところもある。良い歌集は自腹で買い、全部手書きで写してみると勉強になる。結社に入り、生の歌会を体験するべきである。そうしてこそ、読み(詠みというより)が鍛えられるのだ、など。
▼文法や用語にしても、「短歌は文語定型で作ることを基本としています」(p.120)というのが譲れない立場である。型があるから破調が生きるように、口語や俗語を使う場合にも、あくまで文語、歌言葉を意識しながらでなくてはならないというのである。俵万智などには好感を持っているようだけど。
▼「『まことしやかに』などは、古典和歌は言うにおよばず近代短歌でも用いられたことはなかったのではないでしょうか。こんな言葉を歌に持ち込めば、十中八九失敗します。しかし初めてこの歌を読んだとき、こんな言葉を使っていいのかと、目を見張ったのをよく覚えています」(p.118)。今の感覚では、なぜ一般に「まことしやかに」が駄目なのかまったく分からない。
宅配の荷をぞんざいにおろしたる男の顔をちゃんと見ておく
竹山広『千日千夜』
▼「この一首では『ぞんざいに』、そして『ちゃんと』。いずれもまことに日常ありふれた言葉に違いありませんが、『おー、よくこんな言葉を使った』と誰もが驚くのではないでしょうか」(p.119)。いえ驚きませんけど。
▼学生時代に遅れてきた歌詠みとして出発した著者は、一年で『広辞苑』をボロボロにしたそうである。偏差値の高い大学生がまったく理解のできないような言葉ばかりで短歌は綴られてきたのである。
▼とは言え、とても良い本でした。
▼そして、自分の作った歌がいかに駄目なものだったかも思い知らされたのだった。
▼最後に、3月のはてな題詠の中で一番引用スターの多かった歌を再掲載しておく。たぶん珍しかったという以上の評価ではないと思う。短歌、私はやっぱりロム専でいいんじゃないかな。