ユダヤ古代誌〈2〉旧約時代篇(5−7巻) (ちくま学芸文庫)
- 作者:フラウィウス ヨセフス
- 発売日: 1999/11/01
- メディア: 文庫
▼王権神授説の理想的原型はダビデにあるのだろうけど、サウルとダビデに油を注いだサムエルは、王制はそもそも神に対する不敬であると考えていた。
さて、こうして見るとおまえたちが神のみ手を離れて一人の王の下にあることを望むのは、一体いかなる狂気のためなのか。もちろん、わたしは神が選ばれた者を王に指名した。しかし、わたしはおまえたちが王の支配を選んだことにたいする神のご不満とご立腹を、神が徴によっておまえたちにはっきりと示して下さるように神にお願いする。それはここにいるおまえたちが今までだれも見たことのない真夏の大嵐である。わたしは神に願い、今それをおまえたちに見せ、神の力を教えてやろう。(p.139)
▼第1巻の記事はこちら。
▼自転車はすこぶる快調だ。しかし、じゃっかん不穏な感触がペダルを踏む足の裏に伝わってくる。今回はチェーンを詰め、チェーン引きを調整した程度であったけど、本当はチェーンを交換してしまうべきだったのかもしれない。
▼もう少し暖かくなったら、自転車をクリーニングしてもらうことにした。
▼職場の読書に和歌も加えるべきかは悩むところだが、先日短歌の題詠に参加したこともあって、また『古今和歌集』を持って行ってみた。
▼和歌というのは基本的に返歌を待つものではないか。
782 今はとてわが身時雨にふりぬれば言の葉さえにうつろひにけり 小野小町
もうお別れということで、わが身はあなたにとって古びたものに
なってしまったので、時雨が降って木の葉が色移ろうように、
あなたの言の葉も、色あせてしまった。
返し
783 人を思ふ心木の葉にあらばこそ風のまにまに散りも乱れめ 小野貞樹あなたを思う心がもし木の葉であったならば、風に吹かれるままに
散り散りになってしまっていたことでしょう。
もちろん、そうではないので、散り乱れることなく、
あなたを思い続けています。
▼小野小町が木の葉から言の葉への連想をはたらかせ、ひとしなみに移ろいゆくものだと嘆けば、小野貞樹は、まあ言の葉が木の葉であるなら、色あせるどころか風に散ってそりゃあ悲惨なものだろうねと、つれなくかわしているのだけど、返歌はこうやって元の歌の意表を突いて新しい世界を切り開きつつ、元の歌に新たな光を照射する地平になったりするんだろうな。
▼恥を晒したついでに、短篇小説、どうだろう?
▼5000字か。ブログの文章はまずワードに書いている。1ページの設定が40字×40行で1600字。約3ページという計算だ。1つの記事で1ページを超えることはたまにあるから、文字量として決して多くはないが、そういう問題ではない。
▼んー、猫背、猫舌、猫目、猫耳、猫の手、猫の額、猫に小判、猫語、猫カフェ、黒猫、三毛猫、ペルシャ猫、招き猫、化け猫、ドロボー猫、猫型ロボット、トムとジェリー、キャッツアイ、シャノワール、ラングドシャ…。
▼悩んではみるが、参加は難しかろう。