本の覚書

本と語学のはなし

持ち去られた本

▼昨日、大学に合格した甥が久しぶりに我が家にやってきた。私は兄弟愛と聞くと肌が粟立つほどにこの言葉が嫌いで、兄の子とも別に親しく話をするわけではないのだが、第二外国語の選択の相談ということで、候補に挙げたドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、中国語、韓国語の内、現在所有していない韓国語のものを除き、文法書や動詞活用表や辞書を参考のために見せてやった。
▼夜勤に行くため風呂に入った。そのわずかな間に、彼は中国語に決めていた。ヨーロッパの言語の変化の多さに、やるまえから挫折し絶望していたのである。
▼こうやって毎年、簡単に単位が取れそうだからという理由で、怠惰な中国語学習者が量産されていくのだろう。
ピンインを覚えないと辞書が引けないよという程度のことは言っておいたが、この手の語学学習者に必要なのは語学的なアドバイスではない。授業に出席し、レポートを提出し、試験はボイコットするな(すべて私ができなかったことであるけど)、それだけである。


▼夜勤から帰ってみると、部屋の本棚の様子が違う。甥が勝手に入り込み物色していたらしい。知的好奇心からか知らぬが、朝から気分が悪い。
▼参考に供した本の内、中国語の文法書は何も言わぬまま持ち帰ったらしい。プレゼントしてやってもよいと思っていたものだから私の所有を離れるのは構わないのだが、どうも行儀が悪すぎて困る。
▼まあ、彼の父親に貸していたはずの百人一首の本も一向に返ってこないし、彼の祖母にCDを貸しても自分で買ったかのような顔をし始めるし、賤しい野蛮な家系であることは否めないのだが。


▼ちなみに甥が持ち去った中国語の参考書と使ってみた感想。

基礎から発展まで よくわかる中国語文法

基礎から発展まで よくわかる中国語文法

  • 作者:丸尾 誠
  • 発売日: 2010/10/02
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


▼既に彼の父親の所有に帰していると思われる百人一首の本とその感想。


▼短歌のこと。予想はしていたが、やっぱりアップした後で猛烈な後悔に襲われ、記事を削除してしまいたい衝動を幾度も感じた。
▼散文の中で使ってこそ詩的効果を出すような言葉も、詩の中では陳腐にならざるを得ないことがある。
▼三十一文字しかないということは、その中で一つの世界が完結するというよりは、そこが無限のバリエーションを擁する可能性界への可能性としての一つの小さな裂け目である(威風堂々たる正門としてではなく)ということかも知れない。
▼次回も参加できるか分からないが、気をつけたい点。統一感はなくとも、いろいろ試し冒険してみる。写生的なものを必ず加える。よけいな副詞は用いない。説明的にならない。現代の短歌で可能かどうか分からないが、できたら掛詞も使ってみたい。数日寝かせ、推敲する。他人の短歌もちゃんと読む。現代短歌の秀歌選みたいなのも読む(次回までとはいかないが)。


▼自分では恥ずかしくてあまり読み返したくない短歌ですが、それでも普段書いているものよりはずっと多くの人からたくさんのスターをいただいて恐縮しています。ありがとうございます。
▼自分でも一番短歌っぽくなっているかなと思っていたものに一番多く引用スターや言及をいただいているようで、ほっとしています。
▼一方で意外なところに引用スターをつけて下さった方もいますし、当然ながら完全にスルーされているものもあります。これまで作品を出し合い、評価・批判し合うような場に身を置いたことがありませんので、自分と受け手の認識のずれを真剣に考えることもありませんでした。これもまた大いに参考にさせていただかなくてはなりません。
▼それでもコメント欄は閉じたままです。すみません。