本の覚書

本と語学のはなし

旧約聖書Ⅳ ヨシュア記・士師記/旧約聖書翻訳委員会訳

旧約聖書〈4〉ヨシュア記 士師記

旧約聖書〈4〉ヨシュア記 士師記

モーセは約束の地に入ることなく死んだ。その跡を継いでイスラエルの民を率いたのがヨシュアである。彼のもとでカナンへの侵略が始まる。
▼聖絶という言葉がある。原語ではヘーレムと言う。新共同訳などでは「滅ぼし尽くす」と訳されたりしている。穏やかではない。訳者・鈴木佳秀の解説を引用してみる。

聖戦の中で聖絶が行われたことは、ヨシュア記や士師記、聖書外の資料(メシャ碑文)などでほぼ共通した手続きとして確認できる。それによると、神託→出撃→戦闘→都市の攻略→全住民の殺戮→聖絶(ヘーレム)→戦利品の分配という順序においてほぼ共通している。このうち、「全住民の殺戮」部分は、その後に記されている「聖絶」と切り離して考えることはできない。「殺戮」が意味するものは、「神なき状態」に置かれることを意味しているからである。「剣の刃にかけて」神の加護から切り離されたものは、(儀礼的には)死んでいる存在になる。守護神に見捨てられた者、即ち戦いに敗れた者は、儀礼的に穢れた状態に置かれているのである。この「神なき状態」にある人々は、現代的に言えば、市民権を失い無防備の状態に置かれた「捕虜」と言うことになるだろう。彼らのような「神なき状態」にある人々だけでなく、町や土地、家畜や家屋に至るまで、戦いに敗れた神に代わり、改めてより力のある神に献げ直す。そのことによって、そのすべてが戦勝国の神の所有に移されるのである。儀礼において古き神との関係を断絶し、新たな神の所有に帰属させることを「聖絶」と呼ぶのである。(p.239-240)

▼これによれば、聖絶というのは文字どおり「滅ぼし尽くす」虐殺や破壊のことを意味するのではなく、あくまで儀礼的なものであるという。古代の戦争は守護神同士の聖戦であった。敗れた神は退場し、それに伴い、その神に仕えていた人々とその所有は儀礼的に死に至る。それを新たな神との所有関係に引き入れること、それが聖絶であるということらしい。


士師記イスラエルがまだ王制を敷く前、部族連合として他民族と共生したり戦ったりしていた頃の話である。有名なのはサムソンとデリラの物語。
▼エフタの娘が全焼の供犠にされるという話がある。エフタが戦勝祈願の際に、自分の家から出て自分を迎えるものを「ヤハウェのもの」とすることを誓ってしまったためである。
▼鈴木佳秀はこれも儀礼的に全焼の供犠を献げる者、すなわち祭司にされ、生涯を神に献げられたのではないかと解釈している。どこまで当たっているかはよく分からない。

広告を非表示にする