本の覚書

本と語学のはなし

ユダヤ古代誌 1/フラウィウス・ヨセフス

ちくま学芸文庫版『ユダヤ古代誌』は全6冊。前半の3冊が旧約時代篇で、後半3冊が新約時代篇(ユダヤ戦争の前まで)。ヨセフスはクリスチャンではないので、あくまでキリスト教側からの便宜的な分類に過ぎないが。
▼第1分冊には、旧約時代篇のⅠ巻からⅣ巻までを収録する。時代で言うと、神による天地創造からモーセの死まで。まだ完全に聖書に依拠した歴史が語られる。
ちくま学芸文庫版の割注は、聖書の参照箇所と最小限の解説のみ。詳細な情報が必要なら、山本書店版を手に入れなければならない。しかし、山本書店版の固有名詞は原文に忠実にギリシア語読みになっていて、だいぶ違和感があるらしい。


旧約聖書の歴史書の梗概といった趣き。何が語られ、何が語られないのか。何が変更され、何が付け加えられているのか。何がどう解釈されているのか。その辺りが読みどころ。
▼ローマの知識人に読んでもらうためなのか、ユダヤ教の伝統に即しているのか、旧約聖書がだいぶ合理的に姿を変えている。昔クリスチャンの間で聖書に次いで、あるいは聖書以上に読まれた理由の一つは、そこにあるだろう(もちろん、後半でイエスと同時代の歴史が扱われるということが決定的に重要ではある)。
▼当時の好みでもあるのだろうけど、演説がかなり膨らまされている。


▼やはりフランスのシャルリ・エブド襲撃事件は衝撃であった。
イスラム教は寛容の宗教であるという。イスラム過激派の思想は本当のイスラム教ではないという。それはそうだろう。だが、テロを正当化するための文言など、クルアーンコーラン)の至るところに鏤められていることも事実である。
▼これはユダヤ教の聖書にしても同断だし、それを旧約聖書として受けついでいるキリスト教にしても、解釈次第ではどうにでも理論武装することが可能である。
▼今年はキリスト教だけでなく、ユダヤ教イスラム教も、あるいは宗教そのものについても、学ぶ年にしたい。