本の覚書

本と語学のはなし

聖書外典偽典6 新約外典Ⅰ/日本聖書学研究所編

キリスト教福音書や黙示録や手紙は、正典に収められたものだけが全てではない。けっこう大量に類似の書物が作られ、読まれていた。
▼しかし、外典はそれ程面白いものではない。退屈ではあるけど、資料として仕方なく読んでいる。


▼マリアを主人公とした「ヤコブ福音書」という書がある。男やもめで子持ちの老ヨセフが、ほとんど養子のような形でマリアを妻に迎えるという内容。
▼イエスには兄弟姉妹があったという聖書の記述と、マリアの永遠の処女性への信仰の矛盾が、この設定によって解消される。
▼バルバロ訳やフランシスコ会訳の注では、兄弟姉妹というのはセム的な表現であって、実際には親戚のことを指すのだと説明されている。恐らくこれが現在のカトリック神学の公式の見解なのだろう。


▼正典ではイエスの幼少期の記述がほとんど欠如しているが、それを埋める形で「トマスによるイエスの幼時物語」という書がある。
▼しかし、このイエスいささかブラックである。怒りにまかせて人を殺したり、不具にしたりする。後にそれらの人を癒すとはいえ。初期の頃には、神的なものの持つ得体の知れぬ不気味さが、イエスの観念にもこびりついていたということであろうか。


▼話は全く変わる。
▼明日母が退院するということで、説明を受けてきた。
▼かなり症状が悪化してから病院に行ったので重症化した。最初の段階で入院を勧めるも拒否し、外来での投薬治療となったが、なかなか治らない。抗生物質を3度変えても改善しなかった。しかも、母は薬の変更について全く気が付いていない。
▼年末年始に外来が休みになるので、仕方なく入院を承知。点滴等によりだいぶ改善はした。しかし手術をしたわけではないので、また同じ症状が起こる可能性はある。
▼高齢であるだけでなく、糖尿もあるので、重症化しやすい。
▼私が呼ばれたのは、こうした説明を母が理解せず、病を再発するリスクがかなり高いと判断されたからのようだ。

▼幼少の頃、私が風邪でも引こうものなら、気が張っていないからだと散々なじられたものだ。医者の説明を聞きながら、どの口がそんなことを言っていたのかと足蹴にしたい気も起ったが、もしかしたらもう既に痴呆が始まっているのかもしれない。
▼いずれ私は、呆け老人を2人かかえて生きて行かねばならないのだろうか。