本の覚書

本と語学のはなし

職場の読書

▼世間が休みの時には休めない。忙しい年末年始を過ごしている。

▼日曜日にほぼ休みがないということは、教会に通うことが難しいということである。
▼私の地域のカトリック教会では毎日ミサを行っている。日曜日には夕方のミサもある。日本基督教団の教会では、月に一度、夕礼拝がある。教会に行くならば、二者択一ということになるだろう。


▼新年はまだ職場でしか本を読んでいない。持って行くのは2冊の文庫本。フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌 1』(ちくま学芸文庫)と『古今和歌集』(角川文庫)である。
▼『文語訳新約聖書 詩篇附』(岩波文庫)をやめて『古今和歌集』を再び取り上げたのは、古文復活の足掛かりとして。キリスト教一辺倒ではいけない。その影響下にはない世界像にも常に触れていなくてはならない。

717 あかでこそ思はむ中は離れなめそをだにのちの忘れがたみに


(訳)飽きないうちに、思いを寄せ合っている同士は、別れた方がよい。飽きることなく思い合ったまま別れたということだけでも、後々の思い出にするために。

▼文法的には「離れなめ」が一番引っかかるところだと思うが、分析をすると、「離れ」は下二段活用の動詞「離る」の連用形、「な」は強意を表す助動詞「ぬ」の未然形、「め」は適当・当然を表す助動詞「む」の已然形。この已然形は、係助詞「こそ」の結びである。「む」が適当・当然の意味になるときは、多くこの係り結びの形を取る。


▼一つ確認をしておく。このブログはあくまでメモであって、書評とか評論とかではない。