本の覚書

本と語学のはなし

日本古典文学の休止

 『源氏物語』の「松風」を読了する。明石の上は源氏の二条の邸に移ることをためらい、大井に居を定める。その娘は紫の上の養女として引き取られることになるようだ。

古今集効果

 「山の錦はまだしうはべりけり」というセリフがある。まだ紅葉は盛りでないということだ。もう手垢に汚れてしまっているくらいだが、紅葉は山を彩るのであれ、散って川に流れるのであれ、しばしば錦に見立てられるのである。

 注釈には、「山の錦」という歌語の使用例として、『古今集』巻五秋下の歌が挙げられている。

霜の経(たて)露の緯(ぬき)こそ弱からし山の錦の織ればかつ散る

 角川文庫の訳。「霜の縦糸、露の横糸が弱いらしい。山の錦が織るそばから散るのは」。紅葉を色づかせるのは霜や露であると考えられていたが、ここではそれらが錦を織りなす縦糸と横糸であると斬新に見立てられている。
 「山の錦はまだしうはべりけり」と言った人物、聞いた人物、当時これを読んだ人々の脳裏には、この和歌の喚起するイメージが共有されていたことだろう。

 和歌が分かってくると、それを背景とする散文にも奥行きを感じ取ることができるようになる。

紅葉余話

 昔は「もみづ」という動詞も存在した。『古今集』巻四秋上から2つ例を挙げておく。

ものごとに秋ぞかなしきもみぢつつうつろひゆくをかぎりと思へば

いとはやも鳴きぬる雁か白露の色どる木々ももみぢあへなくに

 前者は、木々が紅葉しつつ衰えてゆく姿に、何に付けても悲しい秋であることよという歌。後者は露によって色づく木々もまだ紅葉しきれていないのに、ずいぶん早く雁が鳴いたことよという歌。

古文の休止

 歳のせいか色んなことに手を拡げるのが億劫になってしまった。外国語をやめ、古文に精を出すというのも選択肢の一つだが、そう決めてしまうほど老け込んだわけでもない。それに古文ならばいつでも戻って来られる。
 今は聖書学と英米文学フランス文学とにもう少し力を傾けることにする。
 職場でも一旦『古今集』をやめ、旧約ヘブライ語と新約ギリシア語の単語集を試してみる。