本の覚書

本と語学のはなし

雪下ろし2回目

雪下ろし

▼大雪が降った訳ではない。しかし、大屋根から雪が絶えずずり落ちて来て、放置しておくと2階の窓が開かなくなりそうなので、早くも今年2度目の雪下ろし。
▼落下した雪が山脈のようになっている。そこに登りスコップの届く範囲で大屋根の端の雪を下ろす。それから下屋根の雪を下ろす。堅く締まった雪はなかなか重くて、難儀であった。

▼堅い雪は「掻く」と言うより、「切り出す」ものである。雪下ろしをする時、いつも私は石切り職人にでもなった気分になる。

▼昔、なんだか原因が分からないけれど、突然左の肘が痛んで、レントゲンを撮ってもらったことがある。どこも悪いところはないと言われた。しかし、雪下ろしをすると先ず痛み出すのが左肘である。
http://58808.diarynote.jp/200508162124020000/

行かなかったクリスマス・コンサート

▼今日は教会(日本基督教団)のクリスマス・コンサートに行きたかったのだが、間に合いそうになかったし、寝不足の中でだいぶ体力を消耗したから、午後からは寝ていた。
▼めっきり音楽からは遠ざかっている。本当は生で聞くはずだったヘンデルメサイア。久し振りにCDをかけてみようか。


▼比較的近いところに、福音派の教会がある。ホームページで更新されるのはほぼ牧師のブログのみであるが(ここに限らず、私の地域の教会はどこもホームページにまったく力を入れていないので、実態が分かりにくい)、それを見ているとアットホームなサークルのような雰囲気が伝わってきて、楽しそうではある。
▼こういうところなら、私にもなにか出来ることがあるのだろうとは思うが、それが大きな負担にもなるに違いない。それに私は福音派にはなれそうにない。


カトリックへの復帰の道はないのかと問われれば、ないことはない。
▼私はなぜカトリック教会で洗礼を受けたのだろう。小学生の時、わずかな期間イタリア人神父のところで英語を習い、クリスマスに英語劇を演じた体験が、私の体にずっと沁みついているのである。
▼そして学生時代のアパートのすぐ近くにカトリック教会があった。そして幾晩も続けてイエスの夢を見た。ある日の夢に出て来た黄金に輝くイエス像は、私が昔その前で「Gloria in excelsis Deo(いと高き処に神に栄光あれ)」を歌った、あのイエス像であっただろう。カトリック教会で受洗することは必然のように思えたのである。