本の覚書

本と語学のはなし

購入12-1

▼マルコ福音書の注解書の上巻。第1版が出たのが1972年。予定では全3巻になるはずだが、続きは40年以上放置されたまま。死ぬまでには仕上げたいとのことだけど、仕事の順番としては、先ず目下刊行中の新約全訳註を完結させ、その後新約概論とリーメンシュナイダーなる16世紀ドイツの彫刻家に関する論考(宗教改革とも絡むらしい)に取り組む。マルコは一番後になるらしい。


▼マルコは原文で読んでみると、案外難しい。ギリシア語がちょっとおかしいのだ。今日相当に時間を費やしてしまった文章を書き抜いてみる。2章21節bである。

εἰ δὲ μή, ἄιρει τὸ πλήρωμα ἀπ’ αὐτοῦ τὸ καινὸν τοῦ παλαιοῦ καὶ χεῖρον σχίσμα γίνεται.


▼先ず新共同訳。口語訳も新改訳もフランシスコ会訳も似たようなものだ。

そんなことをすれば、新しい布切れが古い服を引き裂き、破れはいっそうひどくなる。

▼しかし、原文はとてもそんなにすっきりとしていない。あえて言えば、「そんなことをすれば、布切れがそこから(……を)取り去り――新しいものが古いものから――、そして破れはいっそうひどくなる」という感じである。


田川建三の訳は『訳と註』と『現代新約注解全書』の2種類手にしたわけだが、せっかくなので今日届いた後者の方を紹介してみる。

そのようなことをすればつぎ布が着物をひき裂く。――新しいものが古いものを。――そこで破れはもっとひどくなる。

▼ついでに解説から。

「新しいものが古いものを」という句は、文脈を乱しており、現代語なら括弧に入れた説明句か、欄外の註といった感じで挿入されている。したがってこれは、伝承の句に対する編集者の解釈句と見るのがよい。(p.167)

▼要するに、いっしょくたにまとめてしまうなということだ。だが、大概の外国語訳も新共同訳と同じようなものである。田川のような訳し方をしているのは、私が持っている中ではNABREくらいなものだ。


▼問題はそれだけではない。εἰ δὲ μήは文字どおりには「そうでなければ」となるのではないかという疑問もある。不正確なギリシア語で、セミティズムであるという意見もあるようだが、まあこういう言い方は他にも例があるそうだし、前文の主語が否定語だから理に叶っているような気もする。

▼もう一つ、ἄιρειは他動詞のはずだが、目的語が見当たらない。どの訳も当たり前のように「古い着物を」引き裂くとしているが、どう見ても「古い着物」は対格ではない。それに『新約聖書ギリシア語小辞典』を見ても、「引き裂く」なんて訳語は載っていない。恐らくここでは元来「取り去る」ということなのだろうけど、一体何を取り去るのだろうか。そこまでは田川も教えてはくれない。
▼重いのであまり使いたくないのだが、バウアーを見てみる(英訳版だけど)。

Prob. not intrans., since other exx. are lacking, but w. ‘something’ supplied ἄιρει τὸ πλήρωμα ἀπὸ τοῦ ἱματίου the patch takes someth. away fr. the garment

▼他に例がないところをみると、恐らく自動詞ではない。何かを補ってみよ、とのことである。つまり、つぎの布切れが古い着物から何かを取り去る。その結果、古い着物が引き裂かれる。これを一つにまとめて訳してしまえということだったのだろうか。
▼以前マタイの並行箇所でほとんど同じ文を読んだはずなのだが、当時はそこまで調べずに済ませてしまっていた。恥ずかしい。