本の覚書

本と語学のはなし

クリスマスの起源/O. クルマン

クリスマスの起源

クリスマスの起源

▼クルマンは高名な新約学者。取っ付きやすそうな装丁や本の薄さ、各ページの文字数の少なさなどとは裏腹に、案外堅い本である。
▼クリスマスの日付とクリスマスツリーの2本立て。異教的な起源に対しても、強固に護教的で神学的なキリスト教固有の意義を主張するので、キリスト教徒でない人が読むと、ちょっと面食らうかもしれない。
▼サンタクロースについては別の本を探さなくてはならない。

12月25日

▼4世紀初めまで、そもそもキリスト教徒がイエスの生誕を祝うことはなかった。彼らにとって重要なのは、毎週の主の日(日曜日)、そして毎年のイースターであり、つまりはキリストの死と復活こそが関心の的であった。
▼2世紀、アレクサンドリアグノーシス主義者バシレイデスのグループは、1月10日ないし6日にキリストの洗礼を祝っていたという。彼らの思想では、神なるキリストはこの洗礼によって初めて地上に現れたのである。この顕現のことをエピファニーという。
▼1月6日はディオニュソス祭の日であり、特にアレクサンドリアではアイオーン(時あるいは永遠の神格化)の誕生日であり、オシリスに捧げられた日でもあり、ナイル川の水は特別の奇跡を行う力を持つとされていた。冬至が終わり、昼が長くなり始めることと関連していたようだ。
▼やがて異端的バシレイデス派の洗礼祭が東方教会の習慣として取り入れられ、4世紀前半には、1月6日にイエスの洗礼と誕生を結びつけたエピファニーが祝われるようになった。
▼325年、ニカイア公会議で、神の受肉はイエスの降誕に際してであったことが確認される。洗礼によって神の養子になったのでは決してない。神学的には洗礼と降誕とは切り離して祝うべきであることになる。ローマでは、太陽崇拝のミトラ教の主祭日が12月25日に祝われていたのを、恐らくはコンスタンティヌス帝の意識的努力もあって、キリスト教の降誕祭に借用することになった。
▼しかし、ローマ発のこの改革の普及にはかなりの抵抗があったようで、今でも1月6日にクリスマスを祝うところは多くある。
▼ちなみに12月25日がクリスマスというところでも、1月6日は主の公現祭としてエピファニーを祝っている。

クリスマスツリー

▼これも元来は太古以来の樹木崇拝や冬至の祭儀に起源を持つようだ。
キリスト教徒は当初、木の枝や若木で家々を飾り付けていた。
▼モミの木を立ててクリスマスツリーとするようになったのは、中世、聖夜に降誕祭の序幕として、教会の正面玄関の前で行われた、楽園の堕罪を題材とする神秘劇の時である。すなわち善悪の木としてモミの木を用い、そこにリンゴをぶら下げた。キリストの受肉とともに、人間の悪が贖われるのだ。
▼やがて、リンゴとともにホスチア(聖餐式のパン)が木に掛けられるようになるのは、それをよく象徴している。もはや善悪の木も生命の木も区別はなくなった。
▼ツリーの飾りは形を変えつつ(ホスチアはクッキーになったりしながら)どんどん増えていく。クルマンはなかんずくロウソクが不可欠だというが、木に掛けられたロウソクなんて私は見たことがない。たぶん、今我々のところでは電飾に置き換えられているのだろう。たしかに、ロウソクの炎のような形をしている。この光こそは、最も深い闇の中に現れた光としての神の象徴である。