本の覚書

本と語学のはなし

購入11-3

山川 詳説日本史図録

山川 詳説日本史図録

  • メディア: 大型本
▼世界史と日本史の図録。いずれ職場に持って行くかもしれないが、とりあえずは手元にキープ。職場の机は私専用のものではないので、あまり私物ばかり置いておくわけにもいかない。
▼鉄道地図は持って行かないだろう。私は本を読むか語学の勉強をする以外には、全くの無趣味な人間だが、もしもう一つ何かに入れ込むとしたら鉄道がよさそうに思う。それならば断然乗り鉄がいいのだけど、時間もお金もないし、残念ながら極度の出不精でもある。そうなると、書物の上で車両や歴史を研究するか、時刻表で妄想するという方向に進むしかないだろうか。

告白録 (キリスト教古典叢書)

告白録 (キリスト教古典叢書)

▼服部英次郎訳に我慢ならなくなってきたので、ちょっと高いが新しい宮谷宣史訳を買ってみた。

Furta etiam faciebam de cellario parentum et de mensa, vel gula imperante vel ut haberem quod darem pueris, ludum suum mihi, quo pariter utique delectabantur, tamen vendentibus. (1.19)

▼原文はロエブ叢書のもの。古代の書物だからひょっとしたら写本に問題があるのかもしれないが、ロエブは異読を載せてくれるわけではないので、そこのところはよく分からない。予め言っておくが、校本というのは常にひとつの解釈に過ぎない。

Thievery also I committed out of my father’s buttery and table ; either gluttony oft commanding me, or that I might have something to give my playfellows, selling me their baubales, although they were as much as delighted with them as myself.

▼ロエブの英訳。当然ながらロエブの採用する本文に対応している。

わたしは、両親の穴倉や、食卓から盗みをしたことさえあった。それは食欲にそそのかされたこともあったが、他の少年たちにあたえるためでもあった。かれらはもちろん、それを売りつけようとしていたが、それににもかかわらず、ずるい手をつかって私に売った。(服部訳、上p.41)

▼服部訳では何のことだかまったく分からない。アウグスティヌス少年が親の目をくすねて自宅から食料を盗み出し、他の少年たちに与えた後、これを少年たちから逆に売りつけられてしまったとしか読めないし、そうだとしても論理的なつながりが不鮮明である。
▼服部の用いた底本がどうなっていたのか、想像することは難しい。

それに、わたしは親の地下蔵や台所からも盗みもしました。食欲につられてしたこともあれば、友だちの遊び道具を得ようとして、彼らに払うものを入手するためにしたこともあります。彼らもそれを楽しんでいたのですが、わたしに売ってもらうようにしました。(p.58)

▼宮谷訳は日本語の分かりやすさを重視してやや原文を離れる傾向があるようだが、内容は正確にロエブの原文に対応している。
▼最後の部分は、アウグスティヌス少年が友だちの遊び道具の売却を代行したと読めないことはないが、恐らく「友だちがわたしに売る」という原文の視点を移して、「わたしが友だちから売ってもらう」としたのだろう。