本の覚書

本と語学のはなし

祈りの世界/O. ハレスビー

祈りの世界

祈りの世界

▼無力な人だけが本当に祈ることができる。
▼祈りの根本法則とは、神のみ名があがめられるようにと定められ、導かれるということ。
▼祈りの形態には、求める祈り、感謝の祈り、賛美、会話、ことばにならない祈りなどがある。
▼とりなしの祈りは、人間によって遂行されるもっともすばらしく、要求度の高い働きである。
▼まことの祈りは必ず聞かれ、答えられる。ただし、そのどの答えも一様に経験できる訳ではない。
▼祈りはイエスを私たちの心の内に迎え入れることであり、私たちの祈りはイエスに「はい」と応答する役割だけを持つ。魂の戸を開き、イエスを迎え入れるために、ノックされた時に「はい」と返事をするのである。

▼祈ることが出来たら立派なクリスチャンだろうが、言うまでもなく私は立派なクリスチャンではない。
▼私は定型的な祈りであるロザリオの祈りくらいしかしたことがない。


▼祈りといえば、私にとってはクロッサンの言葉が印象的。『イエスとは誰か』からの引用である。

But I would also say that I can no longer distinguish between prayer and study. If the function of prayer is to allow God to get at you, then scholarship is where that now happens for me. (p.142)

▼クロッサンはかつて、カトリックの修道院で公的なものだけで毎日4、5時間を祈りに捧げていた。その後カトリックヒエラルキーからは距離を置かなくてはならなくなったが、今でもカトリックの伝統とコミュニティーの一員であると自認している。
▼今では祈りも研究も同じことのように思える。祈りがその内に神の訪れを招来するものだとするならば、彼にとっては史的イエスを学ぶことを通じて、聖書の超自然的な記述を文字通りには信じなくても、神との神秘的な邂逅が可能であるということなのだろうか。

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